管理人がどうやってオンライン小説サイトを作っていったのか、その実体験によるノウハウや悪戦苦闘の日々をつづるWEB小説制作日記ブログです。
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小説を書いていて「場面の“描写”が上手く書けない」と感じたことはありませんか?
思うようにシーンが描けないと、筆が止まります。
それは下手をすると、作品が未完のままに終わったり、スランプの原因にもなりかねません。
なので、今回はそんな小説の「描写力」について、まとめていこうと思います。
毎度書いていることで恐縮ですが、以下はあくまで、管理人がこれまでやってきて「個人的にやりやすかった方法」です。
人によっては合わないこともあるかと思いますので、参考程度にご覧ください。
思うようにシーンが描けないと、筆が止まります。
それは下手をすると、作品が未完のままに終わったり、スランプの原因にもなりかねません。
なので、今回はそんな小説の「描写力」について、まとめていこうと思います。
毎度書いていることで恐縮ですが、以下はあくまで、管理人がこれまでやってきて「個人的にやりやすかった方法」です。
人によっては合わないこともあるかと思いますので、参考程度にご覧ください。
- 描写が上手くいかない原因
- なぜ、場面描写が上手くいかないのか…それは「頭の中で想像したシーン」の「アウトプット(出力)」が上手くいっていないからです。
どんなに素晴らしい場面を頭の中に思い描けたとしても、それを文章としてアウトプットできなければ、他者には伝わりません。
どうすればアウトプットが上手くいくようになるのか…それはズバリ、技術と慣れの問題です。
少なくとも、精神論でどうにかなる問題ではありません。
しかし、どんな技術を鍛えれば良いのか、どうやって慣れれば良いのか分かっていれば、克服できる問題です。
その「技術」と「慣れ」の具体的な内容については、以下の項目で詳しく語っていきます。
- 描写に必要な「技術」を磨く
- ここで言う「技術」とは、「語彙力(ボキャブラリー)」と、それを使いこなす能力のことです。
文章を書くには「ことば」が必要です。「ことば」を知らなければ、思うように頭の中身を伝えられません。
以前の記事(←下部<参考記事>参照のこと)でスランプ脱出には「インプット」が重要と書きましたが…
インプット期間に吸収すべき「知識」には「ことば(語彙)」も含まれます。
知っている「ことば」の種類が増えれば増えるほど、表現の選択肢が増えます。
たとえば、夕焼け空の色を表すのにも「赤い」「真っ赤な」「オレンジの」「橙(だいだい)の」「朱色(しゅいろ/あけいろ)の」「茜色の」「緋色の」etc…様々な色の選択肢があり得ます。
どれを選ぶかにより、ありふれたものにもなれば、独自色を出すこともでき、読み手の受けるイメージも変わってきます。
「使いこなす能力」とは、覚えたその「ことば」を、適材適所に配置するセンスです。
どれだけ「ことば」を記憶しようと、それを「ここぞという場所」で使えなければ、意味がありません。
ただ、この「ことば遣いのセンス」は、人によって好みが違います。
作者が「善かれ」と思ってその「ことば」を使っても、読者の好み次第では「この文章、好きじゃない」と思われてしまうこともあります。
「好みの壁」は、どうにもならないことではあるのですが…否定されて無駄に傷つかないために、心に留めておいた方が良い事実です。
<関連記事:スランプ時の対処法1~スランプ中にやっておくこと~>
- 描写に「慣れる」トレーニング(文章スケッチ)
- これは、個人的に編み出した方法で、実際に役に立っているトレーニング法なのですが…
まずは「頭の中の風景」ではなく、現実に、今目の前に見えている景色を描写する、ということを、学生時代からちょこちょこやっていました。
いわば、風景をスケッチする「写生」の「言語版」です。
実はこれ、特にトレーニングや練習のつもりもなく、趣味でつけていた「日記」が始まりなのですが…
美しい風景に出会った時、それを心の中のスケッチブックに文章で「スケッチ」し、後で日記帳に清書する、ということを、時々やっていました。
普通に風景や場面を描写する「練習」になりますし、その上、その日見た景色をより鮮明に、より印象的に記憶に留めることができるという「おまけ」までついてきます。
元が「日記」なので、特に印象深いイベントなどあった時には「起きた出来事」や「人との会話」なども描写しているのですが、それも描写力UPの役に立っていた気がします。
こうして現実の風景を描写することに慣れていくと、そのうちに頭の中に浮かんだ風景も、さらっと描写できるようになります。
…まぁ、現実世界の描写には慣れても、ファンタジーなバトルや過去の時代(江戸時代など)の風景の描写練習にはならないでしょうが…描写の「基礎力」を上げるトレーニングにはなるはずです。
(どんな世界にも、木や空や風はあるでしょうから…。)
ちなみに、実際に管理人が過去に書いた「コトバの風景スケッチ」が自作サイトのどこかに載っています(中学生時代のものから載せていますので、だいぶ拙い文章のものあります)。
<過去記事一覧(サイトマップ)はコチラ>
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小説の書き方には「一人称」と「三人称」というものがあります。
(「二人称」もあることにはありますが、相当なレアケースなので、ここでは脇に置いておきます。)
一応、簡単に説明しておくと…
一人称とは、物語が主人公の視点で進んでいくスタイル。主人公の行動を語る時、主語が「私」や「僕」など、英語で言うところの「I」になります。
三人称とは、物語をいわゆる「神の視点(天から見下ろす視点)」から俯瞰(ふかん)するスタイルです。主人公の行動を語る時でも、主語は登場人物の名や「彼」「彼女」…英語で言うところの「he」や「she」になります。
一人称は、感情を語るのに適したスタイルです。
書き手が主人公と「一体化」することで、より主人公に近い場所から(主人公の「中」から)、生々しく感情を訴えることができます。
それに比べて三人称は、離れた地点から主人公たちを見下ろしている状態ですので、少し距離が「遠い」のです。
怒りや悲しみを、自分のこととして内側から描くのと、他人のこととして外側から描くのとでは、やはり何かが違ってきますよね?
そんなわけで一人称には、より「エモさ」を表しやすいというメリットがあるのです。
その一方、デメリットもあります。
それは、ズバリ、視点が1箇所に限定されてしまうということです。
たとえば動画撮影に例えるなら、三人称は複数台のカメラを使って、1カメ、2カメ、3カメ…という風に、映像の角度や映す場所を切り替えていけます。
しかし、一人称の場合、カメラは1つだけ。主人公の持っているものだけです。
三人称なら、主人公と遠く離れた場所にいる「別の登場人物」のことも「一方その頃、○○は…」という感じで、すぐに描くことができます。
しかし、一人称でそんなことをしたら、主人公が「遠くにいる人物のことも全て見通せるエスパー」になってしまいます。
また、一人称では「主人公の心の中」しか描けません。
一人称で「主人公以外の心の中」まで描いたら、やはり主人公が「相手の心を覗けるエスパー」になってしまいます。
(一人称で主人公以外の心情を書こうとするなら、せいぜい「○○はきっと、こう思っているのだろう」といった感じの「推察」になります。)
つまり、複数の登場人物が複雑に絡み合うような小説では、一人称はかなり難しい、ということです。
(書けないことはないでしょうが、主人公が見ていない場面・人物は書けませんので、自然と書けるシーンが限られてしまうのです。)
最近の小説では、各話ごと(あるいはページごと・章ごと)に視点(主人公)が切り替わっていくものも多いですが…
それでも、その話の中(そのページの中・その章の中)での視点は固定されてしまいますので、制限があることに変わりはないかと…。
一方、そんな三人称のメリットは、ズバリ「主人公が知らない情報も書ける」ということです。
主人公が見ていないスキに嫌がらせをしていた犯人は誰なのか、ですとか…
主人公が気絶している間に助けてくれたのは誰なのか、ですとか…
主人公がまだ知らない“重大な秘密”さえ、先に読者に教えることが可能です。
「秘密をバラすタイミング」は、物語の評価を左右する大事な要素です。
読者がソレを知るタイミングを「主人公と同時」にするのか…
それとも、主人公より先に知らせておいて「この主人公は、まだコレを知らないんだ…」「いつ主人公がコレを知るんだろう」と、読者をドキドキハラハラさせるのか…
三人称なら、どちらも選ぶことができます。
(一人称でも、視点を上手く切り替えていけば、できないこともないでしょうが…。)
それと、三人称のメリットでもう1つ挙げられるのが「説明が自然に入れやすい」ということです。
三人称の地の文には「人格」が乗っていませんので、説明文もサラッと普通に入れられます。
しかし、一人称の場合、何を説明するにも、主人公の人格を通して説明しなければなりません。
なので、時に説明しづらかったり、不自然な説明になってしまうこともあるのです。
たとえば、勉強嫌いで「歴史なんてまるで覚えていない」という主人公が、突然、歴史についてスラスラ説明し始めたら、不自然ですよね?
天然おばかキャラのはずの主人公が、突然、理路整然と状況を説明し始めたら、不自然ですよね?
一人称では、主人公のキャラクターに合わない言動は書きづらいですし、書くとキャラがブレてしまうことがあるのです。
しかし、物語の都合上、どうしても説明を入れなければならないこともある…そこが、難点なのです。
(…まぁ、この点に関して言えば、気づかない読者はそんな「不自然さ」にも全く気づかず、普通に読み流す気もしますが…。)
一人称と三人称には、こんな風に、それぞれメリットもデメリットもあります。
小説を書き始める際には、そんなメリット・デメリットを踏まえて「どちらの方が書きやすいか」検討してみるのが良いかと思います。
「何となく」で決めてしまうと、後で、書きづらくなって筆が止まりかねませんし…
途中で「やっぱり変えよう」となって書き直すのは、なかなか大変な作業ですので…。
また、作者によって「どちらが得意か」「どちらが合っているか」というのもあるかと思います。
一度は両方書いてみて「どちらが得意なのか」を見定めておくと、作品のクオリティーUPにも役立つかも知れません。
(「二人称」もあることにはありますが、相当なレアケースなので、ここでは脇に置いておきます。)
一応、簡単に説明しておくと…
一人称とは、物語が主人公の視点で進んでいくスタイル。主人公の行動を語る時、主語が「私」や「僕」など、英語で言うところの「I」になります。
三人称とは、物語をいわゆる「神の視点(天から見下ろす視点)」から俯瞰(ふかん)するスタイルです。主人公の行動を語る時でも、主語は登場人物の名や「彼」「彼女」…英語で言うところの「he」や「she」になります。
一人称は、感情を語るのに適したスタイルです。
書き手が主人公と「一体化」することで、より主人公に近い場所から(主人公の「中」から)、生々しく感情を訴えることができます。
それに比べて三人称は、離れた地点から主人公たちを見下ろしている状態ですので、少し距離が「遠い」のです。
怒りや悲しみを、自分のこととして内側から描くのと、他人のこととして外側から描くのとでは、やはり何かが違ってきますよね?
そんなわけで一人称には、より「エモさ」を表しやすいというメリットがあるのです。
その一方、デメリットもあります。
それは、ズバリ、視点が1箇所に限定されてしまうということです。
たとえば動画撮影に例えるなら、三人称は複数台のカメラを使って、1カメ、2カメ、3カメ…という風に、映像の角度や映す場所を切り替えていけます。
しかし、一人称の場合、カメラは1つだけ。主人公の持っているものだけです。
三人称なら、主人公と遠く離れた場所にいる「別の登場人物」のことも「一方その頃、○○は…」という感じで、すぐに描くことができます。
しかし、一人称でそんなことをしたら、主人公が「遠くにいる人物のことも全て見通せるエスパー」になってしまいます。
また、一人称では「主人公の心の中」しか描けません。
一人称で「主人公以外の心の中」まで描いたら、やはり主人公が「相手の心を覗けるエスパー」になってしまいます。
(一人称で主人公以外の心情を書こうとするなら、せいぜい「○○はきっと、こう思っているのだろう」といった感じの「推察」になります。)
つまり、複数の登場人物が複雑に絡み合うような小説では、一人称はかなり難しい、ということです。
(書けないことはないでしょうが、主人公が見ていない場面・人物は書けませんので、自然と書けるシーンが限られてしまうのです。)
最近の小説では、各話ごと(あるいはページごと・章ごと)に視点(主人公)が切り替わっていくものも多いですが…
それでも、その話の中(そのページの中・その章の中)での視点は固定されてしまいますので、制限があることに変わりはないかと…。
一方、そんな三人称のメリットは、ズバリ「主人公が知らない情報も書ける」ということです。
主人公が見ていないスキに嫌がらせをしていた犯人は誰なのか、ですとか…
主人公が気絶している間に助けてくれたのは誰なのか、ですとか…
主人公がまだ知らない“重大な秘密”さえ、先に読者に教えることが可能です。
「秘密をバラすタイミング」は、物語の評価を左右する大事な要素です。
読者がソレを知るタイミングを「主人公と同時」にするのか…
それとも、主人公より先に知らせておいて「この主人公は、まだコレを知らないんだ…」「いつ主人公がコレを知るんだろう」と、読者をドキドキハラハラさせるのか…
三人称なら、どちらも選ぶことができます。
(一人称でも、視点を上手く切り替えていけば、できないこともないでしょうが…。)
それと、三人称のメリットでもう1つ挙げられるのが「説明が自然に入れやすい」ということです。
三人称の地の文には「人格」が乗っていませんので、説明文もサラッと普通に入れられます。
しかし、一人称の場合、何を説明するにも、主人公の人格を通して説明しなければなりません。
なので、時に説明しづらかったり、不自然な説明になってしまうこともあるのです。
たとえば、勉強嫌いで「歴史なんてまるで覚えていない」という主人公が、突然、歴史についてスラスラ説明し始めたら、不自然ですよね?
天然おばかキャラのはずの主人公が、突然、理路整然と状況を説明し始めたら、不自然ですよね?
一人称では、主人公のキャラクターに合わない言動は書きづらいですし、書くとキャラがブレてしまうことがあるのです。
しかし、物語の都合上、どうしても説明を入れなければならないこともある…そこが、難点なのです。
(…まぁ、この点に関して言えば、気づかない読者はそんな「不自然さ」にも全く気づかず、普通に読み流す気もしますが…。)
一人称と三人称には、こんな風に、それぞれメリットもデメリットもあります。
小説を書き始める際には、そんなメリット・デメリットを踏まえて「どちらの方が書きやすいか」検討してみるのが良いかと思います。
「何となく」で決めてしまうと、後で、書きづらくなって筆が止まりかねませんし…
途中で「やっぱり変えよう」となって書き直すのは、なかなか大変な作業ですので…。
また、作者によって「どちらが得意か」「どちらが合っているか」というのもあるかと思います。
一度は両方書いてみて「どちらが得意なのか」を見定めておくと、作品のクオリティーUPにも役立つかも知れません。
<過去記事一覧(サイトマップ)はコチラ>
アピールの得意・不得意には、その人の「性格」が大きく関わってきます。
特に「自慢が苦手」「目立ちたくない」「他人に遠慮してしまう」「自分の意見を他人に押しつけたくない」タイプの人間であれば、得意・不得意以前に「アピールするのが怖い」「アピールなんて嫌い」という方も多いのではないかと…。
ですが悲しいことに、今のこの世の中は、まずアピールすることが「スタートライン」、アピールしないことには何も始まらない…そんな世界になりつつあります。
そんな世界の中で、アピールが苦手な人間は、何をどうすれば良いのか…
自分も、アピールがそんなに好き(得意)な方ではないのですが…そんな自分でもアピールのために「心がけていること」があります。
それを下記にまとめていきますが…
今回は「アピールが苦手(好きでない)な方向け」のまとめですので、元からアピールが得意(好き)な方の役には立ちません。
また、「アピールが苦手でも、何とかこれくらいなら出来るのでは…?」というレベルの戦術のため、効果のほども保証できません。
それと、いつも書いていることですが、これはあくまで個人的な「心がけ」です。
人の考えは十人十色ですので、合わないという方もいらっしゃるかも知れません。
その辺りをご了承の上、参考程度にお読みください。
特に「自慢が苦手」「目立ちたくない」「他人に遠慮してしまう」「自分の意見を他人に押しつけたくない」タイプの人間であれば、得意・不得意以前に「アピールするのが怖い」「アピールなんて嫌い」という方も多いのではないかと…。
ですが悲しいことに、今のこの世の中は、まずアピールすることが「スタートライン」、アピールしないことには何も始まらない…そんな世界になりつつあります。
そんな世界の中で、アピールが苦手な人間は、何をどうすれば良いのか…
自分も、アピールがそんなに好き(得意)な方ではないのですが…そんな自分でもアピールのために「心がけていること」があります。
それを下記にまとめていきますが…
今回は「アピールが苦手(好きでない)な方向け」のまとめですので、元からアピールが得意(好き)な方の役には立ちません。
また、「アピールが苦手でも、何とかこれくらいなら出来るのでは…?」というレベルの戦術のため、効果のほども保証できません。
それと、いつも書いていることですが、これはあくまで個人的な「心がけ」です。
人の考えは十人十色ですので、合わないという方もいらっしゃるかも知れません。
その辺りをご了承の上、参考程度にお読みください。
- まずは、ネガティブワードを控える
「自慢が苦手」「謙遜が標準装備」な人間は、ついつい自分のことを「低く」言いがちです。
少し前の時代なら、たとえそんな風に「自分を低める発言」をしたとしても、相手が「ああ、テンプレな謙遜だな」と気づいてくれたかも知れません。
(あるいは今の時代も、ビジネスの現場でなら「様式美」として通用するかも知れません。)
しかし…今の時代、それが通用しない人間が増えています。
相手の言葉を「言葉通り」に受け取って「ああ、こいつ無能なんだ」と信じ込んでしまう人間…
こちらが腰を低くして接すると、そのまま頭を踏みつけにしてくるような唯我独尊タイプの人間…
そういう人間が、実際に現代社会にはウヨウヨいるのです。
そんな人間に「つまらないかも知れませんが…」と作品を差し出したところで、果たして読んでくれるでしょうか?
「つまらないなら、読んでも時間の無駄だな」と読まずにスルーされてしまうのがオチなのではないでしょうか?
なので、まずは「作品をネガティブに思わせるワードは控える」ことが大事です。
積極的なアピールという「プラス方向の努力」ができなくても、せめて「イメージをマイナスにしない努力」が必要です。
…とは言え、「謙遜が標準装備」な人間ですと、ネガティブ発言はもはや無意識に出てしまうものですので、それを直していくのはかなり大変なことではあるのですが…。
ちなみに「読者への“注意事項(地雷避け)”を予め示しておく」のは、ネガティブワードのうちには入らないと、個人的には思っています。
(地雷も人の数だけ(というか、それ以上に)あって、なかなか難しいところもあるのですが…。)
- 情報発信が苦手な人は「感謝の気持ち」を取っ掛かりにする
アピールが苦手な方の中には「読者に向けて情報を発信する」こと自体が苦手という方もいらっしゃるのではないでしょうか?
自分の発言が、相手にどう受け取られるか分からない…そんな不安で、小説以外の「素の言葉」を出すことに、躊躇いを持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そういうタイプの人間が情報発信をしていくためには「感謝の気持ち」を「とっかかり」にするのが良いと思っています。
たとえば、読んでもらえたことに対する感謝や、お気に入り(ブクマ)登録してもらえたことに対する感謝の気持ちです。
自分の「意見」は言えなかったとしても、相手に何かしてもらったことに対する「ありがとう」は、比較的「言いやすい」のではないでしょうか?
それに、「意見」に反発する人はいたとしても、感謝やお礼をされて悪い気持ちがする人は、そうそういませんよね?
「○○してくださって、ありがとうございます」も、立派な情報発信です。
それに、そうやって読者の行動1つ1つに感謝していったなら、作者自身もポジティブな気持ちになれるのではないでしょうか?
創作活動には「報われないこと」も数多く、モチベーションを維持するのは至難の業です。
そんな「報われない」負の側面にばかり目を向けるのではなく、「○○してもらった」という正の側面に目を向けられたなら、モチベーションが下がる確率をグッと減らせるはずです。
- 更新などの情報をマメに出す
アピールが苦手な人間に「おもしろい作品ができたから、読んで!」というポジティブ方向のアピールはできません。
しかし「作品を1ページ更新しました」という事務連絡的な情報なら、普通に出せるのではないでしょうか?
ツイッターやブログなどで情報発信するのはもちろん、小説投稿サイトの中には、活動報告や近況ボードなど作者からの「お知らせ」を発信できるサイトもあります。
(ただし、某サイトのように、作者を「お気に入り登録」しなければ近況ボード更新の情報が受け取れない(読者全体に発信されるわけではない)という、機能が中途半端なサイトもあるわけですが…。)
「おもしろい作品です!」「読んでください!」というアピールではなくても、情報発信は情報発信です。
そんな更新情報をきっかけに、作品を知ってくださる読者もいるかも知れません。
そして「読んでください!」という押しの強いお願いはできなくても「読んでいただけたら嬉しいです」の一言を添えるくらいなら、できるのではないでしょうか?
作品をUPした上に、さらに更新情報を出すというのは、手間も時間もかかることです。
また、そんな風に露出を増やしたところで、興味を持たない方は興味を持ってくれないでしょうから、無駄な努力に終わる可能性もあります。
しかし「アピールができなくて悩んでいる」なら、一考の価値のある方法かと思っています。
それと、更新がそもそも不定期な場合には、既存読者の利便性のためにも、更新情報はどこかで発信しておくべきだと思っています。
(更新があるかどうかを確認するためだけに読者に無駄足を踏ませていては、「面倒くささ」から読者離れが起こる可能性もあるので。なるべくなら「フォロー(お気に入り登録)しておけば、情報があった時にお知らせが行く」ような媒体で出すと、より便利かと。)
- 更新情報を更新情報だけで終わらせない
-
これには、だいぶ個人的趣味が入ってしまっているので、他の方の参考になるかは分からないのですが(そして、効果があるかも分からないのですが)…
自分は、作品の更新情報を出す際、その更新部分に関連した雑学や豆知識、裏設定などを、ちょこっと入れるようにしています。
(もちろん、なるべくネタバレしないような程度で入れています。)
「『第○話を更新しました』だけでは、あまりにも事務的過ぎて面白味が無いな…」と思ったのが、きっかけなのですが…
夢中になって練り上げた物語であれば「ここの設定は、こんな国のこんな幻獣を元ネタにしている」「このキャラのネーミングには、実はこういう意味が隠れている」などなど…いわゆる「メイキング」や「創作秘話」を語りたい作者、多いのではないかと思います。
そんな作者の「語りたい欲」をスッキリさせることもできますし、たまたま更新情報を訪れた初見の読者からしても「この国のこの伝説が元ネタなら、趣味が合うかも知れないな…」といった感じで、(何も書かないよりは)作品の雰囲気が把握しやすくなるのではないでしょうか?
(あと、常連読者の方々へのサービスにもなれば良いな…と。)
…そんなわけで、実は津籠の更新情報(近況ボード)は一部、雑学・豆知識の宝庫になってしまっています(しかもかなりマニアックでジャンルが無節操…)。
世の中「自分の好きなモノを夢中になって語り続けた結果、その世界の第一人者になっていた」という人間も稀に存在しますので、好きなモノを夢中で語ることがアピールに繋がることもあるのではないかと…(とは言え、これはかなりの希望的観測なのですが…)。
<関連記事(別サイト)>
・更新情報が更新情報に留まっていない(note)
・津籠睦月の近況ボード一覧(アルファポリス) - 気まぐれに「普通のアピール戦術」を試してみるのも良し、合わないならすぐに諦めるのも良し
個人的な人生方針として「たまに『気まぐれ』を起こしてみる」というものがあります。
「自分が○○しても、どうせ無駄だ」「○○なんて、自分には合わないに決まっている」と、最初から諦めてしまうことはせず、たまには「気まぐれ」にチャレンジしてみる、ということです。
「今のままじゃダメだ。挑戦しなきゃ」という、悲壮な覚悟でチャレンジしたりはしません。
そういう「義務感」や「強迫観念」で行動を起こすと、精神的にもよろしくありませんし、報われなかった時のショックが大き過ぎるからです。
いつも弱気な人間にだって、時には「妙に強気でいられる日」があったりしますよね?
そんな時に「よし、じゃあ試しにやってみるか」という軽い気持ちで、ゆるっとチャレンジするのです。
アピール戦術も同じことです。
世に溢れるアピール戦術の中から、たまには「試しに」いくつかチャレンジしてみます。
完璧にやろうとは思わず、自分にできる範囲でやってみて、「やっぱり合わない」と思えば止めますし、「これなら自分でも出来るかも」というものがあれば、できる範囲で続けます。
「やっぱり合わない」で止めた時にも、「やっぱり自分はダメなんだ」と自分を責めたりはせず、「この方法は自分には合わないんだな」と冷静に結果を分析します。
人間、自分に合うもの・合わないものを、そんなに完璧に見極めることはできません。
自分に似合うと思って買った服が、意外と似合わないことがあるように、逆に自分に合わない・自分にはできないと思っていたことが、意外とできてしまうこともあるのです。
いつの間にか作ってしまった固定観念で「自分には無理」と、最初から諦めてしまうのは「もったいない」ことです。
かと言って「自分を変えなきゃ」と思いつめるのもまた、精神的に良くないことですので、できそうな時に「気まぐれ」で「ゆるっとチャレンジしてみる」くらいのスタンスが、ちょうど良いのではないかと思っています。
・アピール能力は作者の「性格」に左右される(謙虚さや配慮が仇になる)
<過去記事一覧(サイトマップ)はコチラ>
「小説投稿サイトでの活動」で個人的に1番重要だと思っている「メンタル面での備え(メンタル・マネジメント、モチベーションの管理)」に関する「まとめ」第3弾です
<第1・2弾はコチラ→投稿活動を始める前に準備しておくこと(1番大事なメンタル面での「備え」1)/2>
毎度書いていることで恐縮ですが、このブログはあくまで「管理人本人にとって」役立ったものをまとめていますので、人によっては合わないものもあるかと思います。
そのことをご了承の上、参考程度にお読みください。
<第1・2弾はコチラ→投稿活動を始める前に準備しておくこと(1番大事なメンタル面での「備え」1)/2>
毎度書いていることで恐縮ですが、このブログはあくまで「管理人本人にとって」役立ったものをまとめていますので、人によっては合わないものもあるかと思います。
そのことをご了承の上、参考程度にお読みください。
- ポイントや順位とは別軸の目標を持つ
- PVやブクマ数、ランキングの順位など「数値の目標」を持って投稿に挑む方はいらっしゃると思います。
それを悪いとは言いませんが…それだけを目標にしてしまうのは、メンタル的にとても危ういことです。
なぜなら、そういった数値は「他人」の行動により決まるもの。
作者当人がどれだけ努力しようと、時に「運」や「めぐり合わせ」で駄目になってしまうものだからです。
前の記事にも書きましたが、「報われない努力」ほど精神にダメージを与えるものはありません。
なので「目標」には、そういった「成功するかどうかは他人次第」なものだけではなく、「自分の努力次第でどうにかなる」ものも持っておくべきなのです。
たとえば「○千字以上の物語を書く」「ちゃんと『完結』まで持っていく」「今まで書いたことのない分野にチャレンジして引き出しを増やす」etc…。
なるべくなら目標達成した時にそれが「自分の新しいスキル」に変わっているものだと、一石二鳥でさらに良いかと思います。
- 「できること」が増えたなら、自分で自分をちゃんと褒める
- どんな人間も、最初からスラスラ小説を書き上げられるわけではありません。
設定作りで詰まったり、ストーリー展開で詰まったり、つじつま合わせに苦労したり、上手い表現が見つからずに筆が止まったり…
それぞれに「苦手」や「できないこと」があり、それらを何とか1つ1つ乗り越えながら、小説を完成させていくのではないでしょうか。
しかし、そんな途中途中の創作の苦悩は、読者の目には見えません。
読者に見えるのは「できあがった小説」のみ。
作者が悩みに悩んで「ここのシーンはこうするしかない」とギリギリの選択をした箇所も、読者の目から見て特に面白くもインパクトも無ければ、軽く読み流されて終わりです。
「こんなに苦労して、苦悩して書き上げたんだから、それを認めて評価してくれ」と言ったところで、それは読者には関係のないこと。
読者は「創作にどれだけ労力を費やしたか」ではなく、ただその作品が「自分にとって面白いかどうか」で評価を下すのです。
しかし、だからと言って、作者までがその労力を軽く見る必要はありません。
苦労や苦悩の末に、「それまで書けなかったこと」が書けるようになったなら、それは「すごい」ことです。
上手く書けずに筆が止まりそうになったシーンを、それでも何とか繋いで「完結」まで持っていけたなら、それは「よく頑張った」「えらい」ことなのです。
人間という生き物は、他人の努力や苦労にはあまり注目してくれません。
目を向けるとしたら、それは「成功者」の「過去の」努力の話。
「現在」必死に頑張っている人の苦労に褒め言葉を与えてくれる人など、滅多にいません。
しかし、それでも努力は努力。頑張りは頑張りです。
誰にも目を向けてもらえず、褒めてももらえないなら、せめて自分自身くらいは、その努力を認めて褒めてあげなければ、あまりにも報われないではないですか。
それに、自分自身の努力や頑張りを「こんなものに価値はない」と卑下するより「自分、頑張った!えらい、えらい!」と褒めてあげる方が、モチベーションは上がり、今後の創作にも良い影響を与えます。
「できなかったこと」が「できるようになった」なら、それはちゃんと自分で褒めてあげるべきです。
そうして1つ1つ自分の「成長」を実感できたなら、創作活動はもっと楽しく、充実したものになるはずです。
<過去記事一覧(サイトマップ)はコチラ>
「小説投稿サイトでの活動」で個人的に1番重要だと思っている「メンタル面での備え(メンタル・マネジメント、モチベーションの管理)」に関する「まとめ」第2弾です
<第1弾はコチラ→投稿活動を始める前に準備しておくこと(1番大事なメンタル面での「備え」1)>
毎度書いていることで恐縮ですが、このブログはあくまで「管理人本人にとって」役立ったものをまとめていますので、人によっては合わないものもあるかと思います。
そのことをご了承の上、参考程度にお読みください。
<第1弾はコチラ→投稿活動を始める前に準備しておくこと(1番大事なメンタル面での「備え」1)>
毎度書いていることで恐縮ですが、このブログはあくまで「管理人本人にとって」役立ったものをまとめていますので、人によっては合わないものもあるかと思います。
そのことをご了承の上、参考程度にお読みください。
- 「人気がある=おもしろい」の思い込みから脱け出す
- 小説投稿サイトでは、その小説の「順位」が表示されるものが少なくありません。
自分の小説の順位に落ち込み、自分より高い順位の小説に嫉妬を抱く物書きさんも多いのではないでしょうか?
中には「どうして、あんな『おもしろくない』小説がランキングに載っているんだ?」という思いを抱かれている方もいらっしゃるでしょう。
しかし、その考え、そもそも根本からして間違っています。
なぜなら「順位」とは、あくまで「人気」の指標であり、それは必ずしも小説のクオリティーや「おもしろさ」とは関係無いからです。
「人気」は、どれだけ人を集められたか――すなわち「集客力」で決まります。
そして集客には、小説の質を高めるのとは「別の能力」が必要になるのです。
とある缶コーヒーが「缶の形(パッケージ)を変えただけで、売上が急激に上がった」という事例があります。
投稿小説にも「タイトルやあらすじを変えただけで、読者が増えた・順位が上がった」という事例が存在します。
(どちらも「中身」は変わらず「見かけ」が変わっただけです。…何と言うか、人って単純で哀しい生き物ですね…。)
「人気」を得るために必要なのは、そういった「イメージ戦略」「マーケティング能力」であって、「物語をおもしろく書く能力」とは別物なのです。
人気が無いからと言って、その小説が「おもしろくない」とは限らず、逆に人気のある小説が「おもしろい」とも限りません。
残念ながら、現状、小説投稿サイトは「そういう仕組み」になってしまっているのです。
逆に言えば、それゆえに「人気が出ない」からと言って凹む必要は全く無いのです。
それは単に「集客のための能力(いわば商才のようなもの)」が足りないだけで、読まれさえすれば、その小説の価値に気づいてもらえるかも知れないのですから。
(…もっとも、その「集客力が無い小説は、どんなに面白くても読んでもらえない」ことが問題なわけですが…。そこは自分もいろいろ試行錯誤していますが、未だ有効な問題解決策を見出せていないのが現状です。)
<関連記事(別サイト:note)> - 自分にとっての「好き」を見失わない
- 上の「『人気がある=おもしろい』の思い込みから脱け出す」とも関連することなのですが…
ランキングに惑わされ、何とか人気を得ようと、ランク上位の作品の「真似」をしようとする方、結構いらっしゃるのではないかと思います。
しかし、人には「書ける物語」と「書けない物語」があります。
そもそも「何を面白いと感じるか」は人それぞれで、ランク上位の作品を「おもしろくない」と感じる方も多くいらっしゃることでしょう。
(そもそも「ランキング1位」も結局は全体の何パーセント(~何十パーセント)かに過ぎない(100%支持されているわけではない)という事実、皆さま気づいていらっしゃいますよね?)
参考にしようとしている「ランク上位作品」が、「自分にとっても面白く、心からそういう作品が書きたいと思っている」なら良いのですが…
そうでないのだとしたら…それを真似るのは、とんでもない苦行のはずです。
どんな小説も、書き上げるためには「それなりの時間」「それなりの手間」「それなりの労力」が必要です。
それを「好きでも何でもない物語」のために消費するのは、クリエイターにとって「苦痛以外の何ものでもない」のではないでしょうか?
そもそも「おもしろくない」と思っている内容を、「おもしろく」書くことは可能なのでしょうか?
(中にはそういう器用な方もいらっしゃるのかも知れませんが…)
「おもしろくない」物語を、何とか書き上げようと頭をひねるより、自分が本当に「おもしろい」と思える物語に全神経を注ぎ込む方が、よほど良い作品が出来ると思うのは、自分だけでしょうか?
どんなに真似ようとしたところで、書ける小説は書けますし、書けない小説は書けません。
そもそも完全に真似てしまっては「盗作」ですし、そうでなくても「二番煎じ」が好まれない可能性もあります。
それに、たとえランク上位作品と同じ属性・同じジャンルの作品を高クオリティーで書けたとしても、それが人気を獲れるとは限りません。
なぜなら、上でも書いたように、小説の「人気」は「内容」ではなく「集客力」で決まるからです。
集客には「人を集める能力」の他、「運」も大きく関わってきます。
おそらく、全く同じ作品だったとしても、タイミングや投稿先によって、人気に大きな差が出てしまうこともあるのではないでしょうか。
(「流行」は時代の流れによって移り変わるものですし、時間帯やサイトによって「読者層」は変化します。)
「こういう部分が支持されているのだろう」と思って真似たその要素・そのテクニックが、本当に読者の支持を得ているのかどうかすら、よく分からない(ただ運が良かっただけなのかも知れない)――それが、小説投稿サイトの現実なのです。
自分の得意でもない、おもしろいとも感じていない小説を書いた挙句、それが報われなかった場合、その精神的ダメージは量り知れません。
なので物書きは「自分にとっての好き」「自分にとっての面白い」を見失わないことが大切だと、個人的に思っています。
人の好みは十人十色。「あなた」と同じものを「好き」「おもしろい」と思ってくれる読者は、どこかに必ず存在します。
ただ、そんな読者と作者を結びつける「マッチング」が、現在の小説投稿サイトでは充分に機能していないだけなのです。
自分は現在、個人的にそこの問題を解決すべく「Web小説の検索の仕方・され方」を研究しています。
<関連記事(別サイト:note):小説の見つけ方・見つけられ方(web小説の検索方法研究)|もくじ>
研究したからと言って、小説投稿サイトの問題が「今すぐにどうにかなる」というものでもないでしょうが…「本当に面白い小説は、自分の手で探さなければ見つからない」という事実に、1人でも多くの人が気づいてくれることが重要だと思っていますので。
<過去記事一覧(サイトマップ)はコチラ>
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