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管理人がどうやってオンライン小説サイトを作っていったのか、その実体験によるノウハウや悪戦苦闘の日々をつづるWEB小説制作日記ブログです。 ちょっと変わった独自システム付きのネット小説サイトを運営しています。
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「セルフ校閲の仕方」の「まとめ」第3弾です。
 
<前の記事はコチラ→セルフ校閲のススメ1

(第1弾でも書きましたが、これはあくまで管理人の個人的なやり方をまとめたものです。もっと良い方法が他にもあるかも知れませんし、人によっては合わないこともあるかも知れません。そのあたりをご理解の上、参考程度にご覧ください。)
 
差別表現・炎上案件にご注意を
かつてあった色名「はだいろ」が、現在は使われていないことを、ご存知でしょうか?
 
(現在は「ペールオレンジ」もしくは「薄橙(うすだいだい)」です。アメリカでは「ピーチ」など。)
 
以前は当たり前のように使われていた言葉だとしても、時代が変われば「差別的」「配慮が足りない」ということになります。
 
常にアンテナを張り、時代の流れを読み取っていかなければ、すぐにSNSなどで炎上してしまうのが、現代という時代です。
 
(自分も、その手の意識をアップデートしたくて、「差別語、不快語」「ジェンダー平等への配慮」の載った「用字用語辞典(記者ハンドブック)」を購入したことがあります。)
 
さらに、気をつけなければいけないのは「言葉」だけではありません。
 
登場人物の言動や文章表現・描写などにも「差別的な意図」が含まれていないか、注意が必要です。
 
たとえ作者に「そういう意図」が無かったとしても、読者に「差別だ」と思われてしまえば、炎上が起こります。
 
なので作者は「読者に誤解されない」表現を心がけねばならないのです。
 
校閲の際には「そういう視点」でも文章を読み直し「自分とは違う価値観を持つ他人にとって、不快な文章になっていないか」をチェックすることも必要です。
 
…とは言え「何を差別と感じるか」「何を不快と感じるか」は人それぞれですので、その全てに意識を向けることは、AIでもない人の身では何をどうしても不可能なことなのですが…。
 
自分の場合、サイトの注意書きに「その辺りのこと」をフワッと書くことで、一応の「予防策」にしています。
 

 
<関連ページ(別サイト:管理人自作サイト):管理人からのお願い&お断り
 
(読んでくれていない読者には通用しない予防策ではあるのですが…。)
 
情報は複数を見比べてウラを取る
「セルフ校閲のススメ1」で「情報の誤りに注意」ということを書きましたが…
 
そんな「情報の誤り」をチェックするために、個人的にやっているのが「複数情報を見比べて『ウラを取る』」ことです。
 
1つの情報源だけを参考にしてしまうと、その情報源が誤っていた時にどうにもなりません。
 
情報源が複数あれば「この本とこの本とで、言っていることが違う。おかしいぞ」といった感じで「情報の誤りに気づく」きっかけになります。
 
ただ、注意が必要なのが「複数の情報源で『同じこと』を言っているからと言って、それが『正しい』とは限らない」ということです。
 
たとえばネットニュースなどは、複数のニュースサイトで同じ記事を載せていることがあります。
 
また、文献資料の場合「参考文献が同じ」だと、たとえ違う著者が書いている本でも「内容が同じ」になりがちです。
 
(つまり、その「参考文献」が間違っていたなら、それを参考に書かれた全ての本が間違ってしまうということです。)
 
実際、自分もヨーロッパの歴史関連の文献を読んでいて「これ、兄弟の順番が間違っているのでは?」という本を数冊見つけたことがあります。
 
(その時はウィキペディア(英語版含む)で兄弟全員の生没年をチェックして見比べた結果、気づきました。)
 
1人の人間が入手できる情報には限りがありますので(資料本は金額が高かったり、絶版になっていたりもしますので…)、なかなか難しい問題ではあるのですが…
 
「何かを調べる時には、なるべく複数の情報源を当たって“比較”した方が良い」ということは、覚えておいた方が良いです。
 
余裕を持って校閲できる「時間」を作る
校閲というものは、そもそも「時間」が無ければ充分にできません
 
上の「複数の情報を見比べる」などは特に、時間をかけなければできないことです。
 
なので、作品のクオリティーを上げるためには、なるべく「校閲するための時間をとっておく」ことが必要です。
 
今の時代――特に小説投稿サイトは、何かと「頻繁な投稿」を求められ、時間がなくなりがちです。
 
1日24時間をフルに使える人間ならともかく…
 
そうでない人間は、執筆作業の効率化を図るなどして何とか「校閲のための時間」をひねり出すより他ありません。
 
<関連記事:小説を書く時間の作り方
 
…とは言え、どんなに工夫したところで、確保できる時間には限りがあります。
 
個人的には「巧遅より拙速」な小説投稿サイトの風潮を何とかして、誰もが「自分にとって最適なペースで投稿でき、クオリティーを保てる」ようになれば良いな…と思い、そのためにフワッと情報発信を続けています。
 
(現在の小説投稿サイトには、速筆さんや多作さんやガチ戦略勢しか生き残っていけない空気が漂っていますので…。←しかも、もはや1回や2回実績を残したところで生き残れない世界…。)
 
<関連記事(別サイト:note):誰もが自分のペースで幸せに創作できる環境を目指して…
 


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「セルフ校閲の仕方」の「まとめ」第2弾です。
 
<第1弾はコチラ→セルフ校閲のススメ1

(第1弾でも書きましたが、これはあくまで管理人の個人的なやり方をまとめたものです。もっと良い方法が他にもあるかも知れませんし、人によっては合わないこともあるかも知れません。そのあたりをご理解の上、参考程度にご覧ください。)
 
類語の「ニュアンス違い」に注意
世の中には「よく似た意味」を持つ「類語」がたくさんあります。
 
しかし「似て」はいても、「○○の場合には使えるけど、××の場合には使えない」という、微妙な「ニュアンスの違い」があるモノもあるのです。
 
たとえば「頭蓋骨」と「されこうべ(しゃれこうべ)」。
 
一見どちらも「(人間の)頭部の骨」ですよね。
 
ですが「されこうべ」は、頭蓋骨は頭蓋骨でも「風雨に晒されて白くなった頭蓋骨」という、微妙に異なるニュアンスを持っているのです。
 
つまり、例えば医療モノで開頭手術のシーンを描くとして、そこで「されこうべが現れた」などと書いてしまうとマズいわけです。
 
他に「形が似ているけれど、微妙な“違い”によって名前が分かれているもの」もあります。
 
「そうめん」と「冷麦」の違い、「ストッキング」と「タイツ」の違いなど…。
 
(「そうめん」と「冷麦」は麺の太さや製法、断面の形などが異なります。「ストッキング」と「タイツ」は厚さが異なります。)
 
それと「自動車」と「乗用車」、「腕」と「二の腕」、「花」と「花びら」のように、表すモノの「範囲」が違うものもあります。
 
また、言葉が「同じ」でも、使う時代と場所によって、意味が変わってきてしまうものもあります。
 
たとえば「ハウスキーパー」というと、現代日本では「派遣されてきて、掃除などの家事をしてくれる人」というイメージだと思いますが、ヴィクトリア朝のイギリス貴族社会では「メイドたちを束ねる立場の女性」いわゆる「メイド長」を意味します。
 
こういった「細かなニュアンスの違いのある言葉」を使う際、気をつけなければならないのは、「作者が正しい言葉を使う」ということだけでなく「読者に誤解されないこと・読者の誤解をそのままにしないこと」です。
 
上記のような「ややこしい類語」は、読者の中に既に「誤解」が生じてしまっているものもあります。
 
誤解されたまま読まれると、逆に「この作者、言葉の使い方がおかしい」と思われかねません
 
できれば、「ややこしい単語」の前後にさらっと説明を入れておくなどしておくと、読者に要らぬ誤解を与えずに済むかと思われます。
 
(近況ボードやブログ、あとがきなどに「制作秘話」「裏情報」「豆知識」などとして説明を入れるのもアリですが、その場合は、近況ボードやブログまで目を通してくれる読者にしか情報が伝わりません…。)
 
言葉の二重表現に注意
よくやりがちな間違いのひとつに「言葉を二重に使ってしまう」ことがあります。
 
「○○が過剰過ぎる」「顔に笑顔を浮かべる」「古来からの○○」etc…
 
1つ目は「過剰」の時点で「○○過ぎる」ことを表していますので、さらに「…過ぎる」を付ける必要がありません。
 
2つ目は顔に顔を浮かべることになってしまいますので、ちょっとしたホラーです。言い換えるなら「顔に笑みを浮かべる」です。
 
3つ目は「古来」の「来」が既に「…から」「…より」の意を含んでいますので、「…から」が必要ありません。
 
この二重表現、文章を「勢い」で書いていると、よくやりがちですし、他にも「やりがち」なシチュエーションがあります。
 
それは「推敲の直し洩れ」です。
 
推敲で、ある単語を「よく似た別の単語」に変える際、その単語だけを直してしまうと、前後の文章がおかしなことになる場合があります。
 
たとえば3つ目のパターン。「『古くからの伝統』の『古く』を『古来』に変えよう」と思った時、「古く→古来」の修正だけでなく、一緒に「から」も消さなくてはいけないのですが、ここをうっかり消し忘れると、言葉が二重になってしまうわけです。
 
ただし、この「言葉の二重表現」、全てが全て「間違い」というわけではありません。
 
時には言葉の意味を「強調」するため、あえて二重に言葉を使うという文学的な表現方法もあります。
 
個性的な表現を使う作者さんの「わざと」の二重表現を「やらかし」と思い込んで批判すると、逆に黒歴史になりかねませんので、ご注意を。
 
「推敲の直し間違い」に注意
上の「言葉の二重表現に注意」でも書きましたが…
 
推敲で文章の「一部分だけ」を直した後には、その文章の「全体」を改めてチェックする必要があります。
 
言葉が二重になってしまうパターンだけでなく、主語が二重になってしまったり、同じ言葉が二度使われてしまうパターンもあります。
 
また、PCやスマホなど「デジタル」での修正作業の場合、うっかり余分なところまで消してしまったり、逆にちゃんと消されていなかったりするパターンもあります。
 
(気づくと文末に「。」が2個ついていたり…。)
 
推敲で文章を修正した際には、よく注意して、修正後の文章をチェックしましょう。
 


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校閲とは、言葉の使い方が合っているかどうか、記述に誤りがないかをチェックする作業です。
 
出版社などには専門の校閲さんがいて、出版前に原稿をチェックしてくれるものですが…アマチュアの物書きに、そんなサポートはありません。
 
なので自分の場合、Web小説をUPする前に、自分自身でざっと文章を校閲します(時間に余裕の無い時は、あまりできませんが…)。
  
いわば「セルフ校閲」です。
 
こういった「文章の正しさ」は、気づく読者は気づくでしょうが、気づかない読者は全く気づかないでしょうから「そんな事にこだわるなんて時間の無駄」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
 
しかし、自分の書いた文章をチェックして、言葉や物事の「正しい知識」をアップデートしていくことは、自分自身の知識知能を高めます。
 
(たぶん、スキルどころの話でなく、本気で「知能」が鍛えられます。)
 
そして、そうして高められた能力が、次の創作に活かされ、作品のクオリティーが上がっていきます。
 
今回は、そんなセルフ校閲の方法――「何に気をつけ、何をチェックしているのか」をまとめていきます。
 
毎度書いていることですが、これはあくまで管理人の個人的なやり方をまとめたものです。
 
もっと良い方法が他にもあるかも知れませんし、人によっては合わないこともあるかも知れません。
 
そのあたりをご理解の上、参考程度にご覧ください。
 
今回も項目が多く、長くなりそうなので、分割して記事にしていきます。
 
<他のページはコチラ→セルフ校閲のススメ2
 
「これって、本当に合ってる?」と常に疑問を持つ
一番大切なポイントは、自分の文章に常に疑問の目を向けることです。
 
知ったつもり」になって、実は「勘違い」していることが無いか…
 
「これくらいなら良いだろう」と思って書いた表現が、炎上必至の差別的表現になっていないかどうか…。
 
自分の知識に自信のある方には、特に注意していただきたいのですが…
 
「世の中の常識」は時代によって変わりますし、「知識」もアップデートされていきます。
 
新たな発見や新たな説により、歴史的事件の年号が変わったり、人物名が変わってしまったりするように…。
 
言葉の意味も変化していくもので、以前はテストで×になるはずだった「間違い」も、現在は辞書に「こういう意味で使われることもある」と加筆されていることがあります。
 
「これは知っている」ということでも「この常識って、今でもちゃんと通用するものなんだろうか?」と「念のために」確認してみることが大切なのです。
 
似た「音」の間違いに注意
よくある間違いで「的を得る」というものがあります。
 
弓矢の「的」は「得る」ものではなくて「射る」ものですので、正解は「的を射る」なわけですが…
 
「まとをいる」と「まとをえる」って、音だけ聞くと、よく似ていますよね?
 
こういう「音の似た言葉」というのは、うっかり間違えやすいものなのです。
 
「あれ?『まとをえる』で合ってたっけ?」といった風に、少しでも引っかかりを覚えたなら、チェックしてみることをオススメします。
 
「情報の誤り」に注意(情報源を過信しない)
「知識」の中で注意が必要なのが「一度何かで見ただけの知識」です。
 
「うろ覚え」ということではありません。
 
たとえ、ノートにメモしたり、スクショしたりで「記憶違いが無いことは確実」だったとしても…
 
そこには「そもそも、その情報自体が誤りだった」というリスクがあるのです。
 
たとえばTVで「先ほど放送しました○○は間違いでした。訂正してお詫びします」と謝罪訂正が入ることって、ありますよね?
 
その謝罪訂正に至る前にチャンネルを変えて「訂正を知らないまま」なら、間違った知識がそのままになってしまいます。
 
(ものによっては訂正が「次の回」にあることもありますし…。)
 
人間、誰しも間違いはあります。マスコミも同じことです。
 
「ちゃんとした所の情報なのだから、間違いなんてあるはずがない」と信じきるのは危険です。
 
また「情報の見逃し」というリスクもあります。
 
たとえば商品広告で小さく端に出ている「ただし、○○の場合は××となります」などといった注意書き…。
 
あるいは何かの解説の端にある「※諸説アリ」の文字…。
 
そういった「見づらい情報」を見逃して「○○の場合もこれでOKなんだ」「この説で確定なんだ」と思い込んでしまうのは危険です。
 
たとえ名の知れた企業の出している情報だとしても、たとえ商業出版されている文献だとしても…
 
一応は「念のために」ウラを取っておくに越したことはありません。
 


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小説を書いていて「場面の“描写”が上手く書けない」と感じたことはありませんか?
 
思うようにシーンが描けないと、筆が止まります。
 
それは下手をすると、作品が未完のままに終わったり、スランプの原因にもなりかねません。
 
なので、今回はそんな小説の「描写力」について、まとめていこうと思います。
 
毎度書いていることで恐縮ですが、以下はあくまで、管理人がこれまでやってきて「個人的にやりやすかった方法」です。
 
人によっては合わないこともあるかと思いますので、参考程度にご覧ください。


描写が上手くいかない原因
なぜ、場面描写が上手くいかないのか…それは「頭の中で想像したシーン」の「アウトプット(出力)」が上手くいっていないからです。
 
どんなに素晴らしい場面を頭の中に思い描けたとしても、それを文章としてアウトプットできなければ、他者には伝わりません。
 
どうすればアウトプットが上手くいくようになるのか…それはズバリ、技術慣れの問題です。
 
少なくとも、精神論でどうにかなる問題ではありません。
 
しかし、どんな技術を鍛えれば良いのか、どうやって慣れれば良いのか分かっていれば、克服できる問題です。
 
その「技術」と「慣れ」の具体的な内容については、以下の項目で詳しく語っていきます。
 
描写に必要な「技術」を磨く
ここで言う「技術」とは、「語彙力ボキャブラリー)」と、それを使いこなす能力のことです。
 
文章を書くには「ことば」が必要です。「ことば」を知らなければ、思うように頭の中身を伝えられません。
 
以前の記事(←下部<参考記事>参照のこと)でスランプ脱出には「インプット」が重要と書きましたが…
 
インプット期間に吸収すべき「知識」には「ことば(語彙)」も含まれます。
 
知っている「ことば」の種類が増えれば増えるほど、表現の選択肢が増えます
 
たとえば、夕焼け空の色を表すのにも「赤い」「真っ赤な」「オレンジの」「橙(だいだい)の」「朱色(しゅいろ/あけいろ)の」「茜色の」「緋色の」etc…様々な色の選択肢があり得ます。
 
どれを選ぶかにより、ありふれたものにもなれば、独自色を出すこともでき、読み手の受けるイメージも変わってきます。
 
「使いこなす能力」とは、覚えたその「ことば」を、適材適所に配置するセンスです。
 
どれだけ「ことば」を記憶しようと、それを「ここぞという場所」で使えなければ、意味がありません。
 
ただ、この「ことば遣いのセンス」は、人によって好みが違います。
 
作者が「善かれ」と思ってその「ことば」を使っても、読者の好み次第では「この文章、好きじゃない」と思われてしまうこともあります。
 
「好みの壁」は、どうにもならないことではあるのですが…否定されて無駄に傷つかないために、心に留めておいた方が良い事実です。
 
<関連記事:スランプ時の対処法1~スランプ中にやっておくこと~
 
描写に「慣れる」トレーニング(文章スケッチ)
これは、個人的に編み出した方法で、実際に役に立っているトレーニング法なのですが…
 
まずは「頭の中の風景」ではなく、現実に、今目の前に見えている景色を描写する、ということを、学生時代からちょこちょこやっていました。
 
いわば、風景をスケッチする「写生」の「言語版」です。
 
実はこれ、特にトレーニングや練習のつもりもなく、趣味でつけていた「日記」が始まりなのですが…
 
美しい風景に出会った時、それを心の中のスケッチブックに文章で「スケッチ」し、後で日記帳に清書する、ということを、時々やっていました。
 
普通に風景や場面を描写する「練習」になりますし、その上、その日見た景色をより鮮明に、より印象的に記憶に留めることができるという「おまけ」までついてきます。
 
元が「日記」なので、特に印象深いイベントなどあった時には「起きた出来事」や「人との会話」なども描写しているのですが、それも描写力UPの役に立っていた気がします。
  
こうして現実の風景を描写することに慣れていくと、そのうちに頭の中に浮かんだ風景も、さらっと描写できるようになります。
 
…まぁ、現実世界の描写には慣れても、ファンタジーなバトルや過去の時代(江戸時代など)の風景の描写練習にはならないでしょうが…描写の「基礎力」を上げるトレーニングにはなるはずです。
 
(どんな世界にも、木や空や風はあるでしょうから…。)
 
ちなみに、実際に管理人が過去に書いた「コトバの風景スケッチ」が自作サイトのどこかに載っています(中学生時代のものから載せていますので、だいぶ拙い文章のものあります)。
 


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小説の書き方には「一人称」と「三人称」というものがあります。
 
(「二人称」もあることにはありますが、相当なレアケースなので、ここでは脇に置いておきます。)
 
一応、簡単に説明しておくと…
 
一人称とは、物語が主人公の視点で進んでいくスタイル。主人公の行動を語る時、主語が「私」や「僕」など、英語で言うところの「I」になります。
 
三人称とは、物語をいわゆる「神の視点天から見下ろす視点)」から俯瞰(ふかん)するスタイルです。主人公の行動を語る時でも、主語は登場人物の名や「彼」「彼女」…英語で言うところの「he」や「she」になります。
 
一人称は、感情を語るのに適したスタイルです。
 
書き手が主人公と「一体化」することで、より主人公に近い場所から(主人公の「中」から)、生々しく感情を訴えることができます
 
それに比べて三人称は、離れた地点から主人公たちを見下ろしている状態ですので、少し距離が「遠い」のです。
 
怒りや悲しみを、自分のこととして内側から描くのと、他人のこととして外側から描くのとでは、やはり何かが違ってきますよね?
 
そんなわけで一人称には、より「エモさ」を表しやすいというメリットがあるのです。
 
その一方、デメリットもあります。
 
それは、ズバリ、視点が1箇所に限定されてしまうということです。
 
たとえば動画撮影に例えるなら、三人称は複数台のカメラを使って、1カメ、2カメ、3カメ…という風に、映像の角度や映す場所を切り替えていけます。
 
しかし、一人称の場合、カメラは1つだけ。主人公の持っているものだけです。
 
三人称なら、主人公と遠く離れた場所にいる「別の登場人物」のことも「一方その頃、○○は…」という感じで、すぐに描くことができます。
 
しかし、一人称でそんなことをしたら、主人公が「遠くにいる人物のことも全て見通せるエスパー」になってしまいます。
 
また、一人称では「主人公の心の中」しか描けません。
 
一人称で「主人公以外の心の中」まで描いたら、やはり主人公が「相手の心を覗けるエスパー」になってしまいます。
 
(一人称で主人公以外の心情を書こうとするなら、せいぜい「○○はきっと、こう思っているのだろう」といった感じの「推察」になります。)
 
つまり、複数の登場人物が複雑に絡み合うような小説では、一人称はかなり難しい、ということです。
 
(書けないことはないでしょうが、主人公が見ていない場面・人物は書けませんので、自然と書けるシーンが限られてしまうのです。)
 
最近の小説では、各話ごと(あるいはページごと・章ごと)に視点(主人公)が切り替わっていくものも多いですが…
 
それでも、その話の中(そのページの中・その章の中)での視点は固定されてしまいますので、制限があることに変わりはないかと…。
 
一方、そんな三人称のメリットは、ズバリ「主人公が知らない情報も書ける」ということです。
 
主人公が見ていないスキに嫌がらせをしていた犯人は誰なのか、ですとか…
 
主人公が気絶している間に助けてくれたのは誰なのか、ですとか…
 
主人公がまだ知らない“重大な秘密”さえ、先に読者に教えることが可能です。
 
「秘密をバラすタイミング」は、物語の評価を左右する大事な要素です。
 
読者がソレを知るタイミングを「主人公と同時」にするのか…
 
それとも、主人公より先に知らせておいて「この主人公は、まだコレを知らないんだ…」「いつ主人公がコレを知るんだろう」と、読者をドキドキハラハラさせるのか…
 
三人称なら、どちらも選ぶことができます。
 
(一人称でも、視点を上手く切り替えていけば、できないこともないでしょうが…。)
 
それと、三人称のメリットでもう1つ挙げられるのが「説明が自然に入れやすい」ということです。
 
三人称の地の文には「人格」が乗っていませんので、説明文もサラッと普通に入れられます。
 
しかし、一人称の場合、何を説明するにも、主人公の人格を通して説明しなければなりません。
 
なので、時に説明しづらかったり、不自然な説明になってしまうこともあるのです。
 
たとえば、勉強嫌いで「歴史なんてまるで覚えていない」という主人公が、突然、歴史についてスラスラ説明し始めたら、不自然ですよね?
 
天然おばかキャラのはずの主人公が、突然、理路整然と状況を説明し始めたら、不自然ですよね?
 
一人称では、主人公のキャラクターに合わない言動は書きづらいですし、書くとキャラがブレてしまうことがあるのです。
 
しかし、物語の都合上、どうしても説明を入れなければならないこともある…そこが、難点なのです。
 
(…まぁ、この点に関して言えば、気づかない読者はそんな「不自然さ」にも全く気づかず、普通に読み流す気もしますが…。)
 
一人称と三人称には、こんな風に、それぞれメリットもデメリットもあります。
 
小説を書き始める際には、そんなメリット・デメリットを踏まえて「どちらの方が書きやすいか」検討してみるのが良いかと思います。
 
「何となく」で決めてしまうと、後で、書きづらくなって筆が止まりかねませんし…
 
途中で「やっぱり変えよう」となって書き直すのは、なかなか大変な作業ですので…。
 
また、作者によって「どちらが得意か」「どちらが合っているか」というのもあるかと思います。
 
一度は両方書いてみて「どちらが得意なのか」を見定めておくと、作品のクオリティーUPにも役立つかも知れません。

 


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HN(ハンドル・ネーム):
津籠睦月(つごもりむつき)
職業:
社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
趣味:
小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
好きな小説ジャンル:
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
備考:
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。

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