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管理人がどうやってオンライン小説サイトを作っていったのか、その実体験によるノウハウや悪戦苦闘の日々をつづるWEB小説制作日記ブログです。 ちょっと変わった独自システム付きのネット小説サイトを運営しています。
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「その作品にその作家は必要?」と思われないために

生成AIがそこそこ世に普及してきた昨今ですが…
 
自分はAIが普及し始めた当初から「創作にAIは使わない」と決めています。
 
それは何故なのか…理由は明白過ぎるのですが…
 
「少しでもAIを使ってしまうと、作家としての実力の証明ができなくなってしまう」からです。
 

「スゴいのはAIではなく作家の方」と証明できるか?

昨今のAIはプロ並のイラストや文章を、普通に生成できてしまえますよね?
 
そんな「AIで生成された作品」を「スゴい」と称賛する声も聞かれます。
 
でも、その「スゴい」って、「AI」に向けられたものですよね?
 
鑑賞者や読者の目は「AI」にばかり注がれ、それを生成させた「プロンプター」には向けられていません。
 
見る者にとって「AI作品」は「AIが」作った作品。
 
プロンプターのことを意識する人など、ほとんどいないのではないでしょうか?
 
(特にAIに(うと)い人間ほど、AIの「後ろにいる人」には意識が向かないものです。)
 
たとえどんなに素晴らしいAI作品ができたとしても、人々が思うのは「AIって、すごい」です。
 
そんな「AI」にばかり意識が向いた人々に「これを作った自分がすごいんだ」とアピールしたところで、どうなるでしょう?
 
「へー、すごいね。じゃあ、AI使えば俺(私)にも、これが作れるんだね」となるのがオチではないでしょうか?
 
AI作品の最大のデメリットは、その作品の「良さ」が「AIの手柄」なのか「プロンプターの手柄」なのかが「判別できない」ということです。
 
特にAIの性能が上がり評価がウナギ昇りの昨今では、それを「AIの手柄」と判断する人の方が多いのではないでしょうか?
 
「すごいのはAIではなく自分だ」…それをAI作家は、どうやって「証明」できるのでしょう?
 
「AI:作家」の割合なんて、見る人には分からない(自己申告はアテにならない)

「AIはあくまで補助的に使っただけ」「画像処理ソフトや電子辞書を使うのと同じだ」…そう主張する方もいるでしょう。
 
ですが、その「自己申告」を、誰が、どこまで信じるでしょうか?
 
その作品の「何%」がAI由来で、「何%」が作家の実力かなんて、下手すると生成させたプロンプター自身にさえ分からないのではないでしょうか?
 
(「本人」はだいたい「自分有利」に数字を出しがちですし…。)
 
その割合を「証明」できるとしたら、証拠は作品生成に用いた命令文(プロンプト)くらいですが…
 
「何でもできてしまう」AIには、それさえ「ねつ造」することが可能なんですよね…。
 
「本人」の「自己申告」や「デジタル(加工可能)な情報」は、とことん信頼性が低いのです。
 
AIは「かわいい女の子の絵を描いて」や「○○文字で物語を書いて」という創作性のカケラも無いプロンプトからも作品を生み出せてしまいます。
 
つまりは「AI:作家」の比率が「99:1」も普通にあり得てしまうのです。
 
「作家が作品に関わった割合」がほんの数%…しかも「誰でも思いつく」ような創作性も何もないプロンプトでしか関わっていないとしたら…
 
「その作品に、その作家は必要なのか?(その人でなくても誰にでも作れるのでは?)」という話になってしまいますよね?
 
もちろん、AI作家はあくまで「自分がいなければこの作品はできなかった」と主張するでしょうが…
 
その作品に自分が「何%」寄与したのか…それを証明できないのに、誰にその主張を信じてもらえるでしょうか?
 
99:1とまでは行かなくても、AIの作ったものを人間が修正・補正しただけ…という主従逆転状態(AIが人間を補助するのでなく、人間がAIの補助をしている状態)なのに「これは自分の実力だ」と主張する人はいそうですよね…。
機械の性能を自分の能力と誤認してしまう心理って、煽り運転などにも見られるケースですので、何も不思議なことでは無いのですが…。
 
…まぁ、将来「クリエイターの創作性を邪魔しないAI(AIの機能を「補助的役割」に限定する)」とかが出て来るなら、話は別なんですけど…未だに誰もそういう議論、しませんよね?何でなんでしょうね?
 
AI時代は「誰でも作家になれる時代」ではなく「誰も職業作家になれない時代」

クリエイターの「実力が証明できない=AIを使えば誰にでもできると思われてしまう」…それは、恐ろしい未来を招きます。
 
すなわち「職業作家のいなくなる未来」です。
 
少し考えれば分かるかと思いますが…
 
「AIなら、誰がやっても良い作品が作れる」となれば、べつにクリエイターなんて必要ありませんよね?
 
出版社や広告代理店etc…「文章」や「絵」を必要とする会社が、社内でAIを使えば良いだけの話になります。
 
実際のところ、広告代理店は既に「そうなり始めて」いたりしないでしょうか?
ちょっと前に「いかにもAIならではのミス」のある広告が問題になりましたよね?
内実は分かりませんので、今はまだ「外注」なのかも分かりませんが…。
 
もし「AI作家」という職業が成り立つとしても、それは安っっっい料金で「下請け」させられるのが関の山でしょう。
 
今でさえ「下請けいじめ」「フリーランスいじめ」が問題となっているのに、AIで「より労力(コスト)がかからない」と分かりきっている仕事に、クライアントが大金を出してくれると思いますか?
 
クリエイターに高いお金が支払われるのは、それが「その人にしかできない仕事」「他にない価値ある仕事」だからです。
 
「社内でも出来るけど、時間と手間が面倒くさいから外注する」という程度の仕事に、高いお金を出す企業なんてありません。
 
(だって、それだったら普通に社内でやった方がお金が浮くじゃないですか。)
 
果たしてその安い報酬で、クリエイターはクリエイターとして食べていけるのでしょうか?
 
クリエイターがAIを使って「人間の実力がなくても、ここまでの作品ができますよ」と示せば示すほど、世の中から「クリエイターの仕事」は失われていくのです。
 
今はまだ「AIを使いこなすスキルが無いから外注する」ケースもあるかも知れませんが、AIが進化して「そんなスキルも要らなくなる」時代が来た場合には、そのニーズすら無くなるものと予想されます。
そしてAI事業者は「一部の通にしか使えないサービス」より「誰でも簡単に使えるサービス」を作りたがるものなので、その進化は時間の問題でしょう。
 
AI時代は、コンテンツが「売れなくなる」時代

AIの進化の先には、実は「クリエイターがコンテンツ業界から仕事をもらえなくなる」よりも最悪な未来が待ち受けています。
 
それはすなわち「コンテンツ業界自体の衰退」…コンテンツが「売れなくなる」時代の到来です。
 
考えてもみてください。
 
自宅のPCやスマホから、AIで「プロ並の品質のコンテンツ」が普通に生成できてしまうとして…
 
お金を払って、わざわざ商業コンテンツを「買う」意味があるでしょうか?
 
しかもAIに事細かく「注文」をつければ、自分好みのオーダーメイドのコンテンツだって作れてしまうかも知れないのです。
 
今はまだAIのレベルも「そこまで」ではないかも知れませんが…
 
今後「進化」の進んだ先には、そんな未来さえ待ち受けているかも知れないのです。
 
なお、隣国では既に「そんな未来」の(きざし)が現れ始めています。
 
著作権がゆるゆるなことでお馴染みの某C国…、かつては人気の版権コンテンツの「偽グッズ」で溢れていましたが…
 
今やファンがAIでグッズを「自作」できてしまうため、偽グッズのビジネス自体が成立しないのだとか…(ネット記事情報)。
 
…そんな話も聞いて(読んで)いますので、自分は創作にAIを使わないのみならず、AIによるコンテンツの「学習」にも警戒しています。
 
(生成AIだろうと著作権侵害は著作権侵害なのですが、言っても聞かない人は聞かないでしょうから…。実際、日本でも既にAI生成偽グッズの逮捕事例は出ていますし…。)
 
自サイトやブログには、既にいくつか自前の防衛策を仕込んでいるくらいなのですが(技術的保護手段は著作権者の権利)…
 
…どうにも世の皆さんは、そこら辺の警戒心が薄いと言うか…無防備ですよね…?
 
一番のタブーは「AI作品」を「AI不使用作品」と偽ること

AI作家の中には、そもそも自分がAIを使っていること自体を公表せず、「AIの手柄」さえ「自分の実力」に見せかけている人もいることでしょう。
 
…でもソレ、バレた時のダメージが最悪過ぎます。
 
「作り手」ではなく「受け手」の気持ちになって考えてみれば分かることかと思うのですが…
 
たとえば「手作りチョコをもらった」と思って狂喜乱舞していたら、それが「大量生産の既製品」だったとしたら、普通に「(ダマ)された!」という気持ちになりますよね?
 
(ここでは「他人の手作りなんて気持ち悪くて食べられない」派のことは、話が逸れるので考えないものとします。なお、悪いのは「既製品を手作りと偽る行為」であって、既製品自体を悪いと言っているわけではありません。)
 
「人間の手で作られたもの」を受け取る時、受け手は無意識に「その背景にある労力」を想像するものです。
 
「手作りチョコ」が「大量生産のチョコ」より嬉しいのは「自分のために、わざわざそれを手作りしてくれた」…という、手間と労力に対する「ありがたみ」があるからなのです。
 
でも「手作りだよ」と言いながら、実際にはその「労力」が「存在しなかった」としたら、どうでしょう?
 
存在しないモノに対して「ありがたみ」を感じて喜んでしまった事実が、空しくはなりませんか?
 
そもそも嘘をついて「騙されている」わけですから、そこに対する「不信感」も生まれるはずです。
 
「嘘をついたわけじゃなく、言わなかっただけ(勝手に誤解した方が悪い)」というパターンもあるかと思いますが…
 
「騙された・騙されていない」を判断するのは「受け手」の方であって「作り手」の方ではありません。
 
そもそも人の心を操れない以上、「受け手」が「どう感じるか」を「作り手」がどうこうすることもできません。
 
「受け手」は、表立っては何も言わないかも知れません(そもそもこの世の大半は物言わぬ「サイレント・マジョリティ」ですので)。
 
ですが「騙された」作り手を、そのまま応援し続けることなど無いのではないでしょうか?
 
コンテンツの受け取り手を「騙す」行為は、普通に「裏切り」行為なのです。
 
これ、特に賞レースなどでは絶っっ対に「やってはいけない」ことかと思うのですが…それさえ「分かっていない」人がいそうですよね…。
「応募規定にAIが駄目なんて書いてなかった」とかいう問題ではなく、審査員の心情を「裏切る」のがマズいんですよ。
だって、選評で「こんな表現を思いつくなんて素晴らしい作者だ」と言った部分が「AIの作った文章」だったりしたら、審査員に恥をかかせることになるじゃないですか。
賞の審査員って、大概の場合「その業界で力を持っている人」なんですよ?
 
「バレやしない」と高をくくっている人もいるかも知れませんが…
 
昨今のネット民の情報解析力を見ると、そこは「甘く見ない方がいい」のではないかと…。
 
最近はAIフェイク動画などの影響もあり「AI作品をAI作品と言わずに発表すること」への風当たりが強くなっています。
 
「AIを創作に使う」という選択をしたのであれば、誰に何を言われるよりも先に、自ら「AI作品です」と公表しておくべきなのではないでしょうか?
 
「AIに対する反発」は普通に受けるでしょうが、それは「AIを使う」という選択をした以上、当たり前に受け止めるべきものなのではないでしょうか?
 
(「AIを使わない作家」だって、テーマや作品展開などの「選択」により、時に読者から反発されたり(逆に称賛されたりも)するものです。作品を世に発表するって、そもそもそういう「覚悟」の話なのではないでしょうか?)
(ここに書いたものの他にも、AIを使うリスク問題はいろいろと山積みでデメリットが多いのですが…話が長くなるので、そちらはまた別の機会に…。)

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備考:
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