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管理人がどうやってオンライン小説サイトを作っていったのか、その実体験によるノウハウや悪戦苦闘の日々をつづるWEB小説制作日記ブログです。 ちょっと変わった独自システム付きのネット小説サイトを運営しています。
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小説の書き方には「一人称」と「三人称」というものがあります。
 
(「二人称」もあることにはありますが、相当なレアケースなので、ここでは脇に置いておきます。)
 
一応、簡単に説明しておくと…
 
一人称とは、物語が主人公の視点で進んでいくスタイル。主人公の行動を語る時、主語が「私」や「僕」など、英語で言うところの「I」になります。
 
三人称とは、物語をいわゆる「神の視点天から見下ろす視点)」から俯瞰(ふかん)するスタイルです。主人公の行動を語る時でも、主語は登場人物の名や「彼」「彼女」…英語で言うところの「he」や「she」になります。
 
一人称は、感情を語るのに適したスタイルです。
 
書き手が主人公と「一体化」することで、より主人公に近い場所から(主人公の「中」から)、生々しく感情を訴えることができます
 
それに比べて三人称は、離れた地点から主人公たちを見下ろしている状態ですので、少し距離が「遠い」のです。
 
怒りや悲しみを、自分のこととして内側から描くのと、他人のこととして外側から描くのとでは、やはり何かが違ってきますよね?
 
そんなわけで一人称には、より「エモさ」を表しやすいというメリットがあるのです。
 
その一方、デメリットもあります。
 
それは、ズバリ、視点が1箇所に限定されてしまうということです。
 
たとえば動画撮影に例えるなら、三人称は複数台のカメラを使って、1カメ、2カメ、3カメ…という風に、映像の角度や映す場所を切り替えていけます。
 
しかし、一人称の場合、カメラは1つだけ。主人公の持っているものだけです。
 
三人称なら、主人公と遠く離れた場所にいる「別の登場人物」のことも「一方その頃、○○は…」という感じで、すぐに描くことができます。
 
しかし、一人称でそんなことをしたら、主人公が「遠くにいる人物のことも全て見通せるエスパー」になってしまいます。
 
また、一人称では「主人公の心の中」しか描けません。
 
一人称で「主人公以外の心の中」まで描いたら、やはり主人公が「相手の心を覗けるエスパー」になってしまいます。
 
(一人称で主人公以外の心情を書こうとするなら、せいぜい「○○はきっと、こう思っているのだろう」といった感じの「推察」になります。)
 
つまり、複数の登場人物が複雑に絡み合うような小説では、一人称はかなり難しい、ということです。
 
(書けないことはないでしょうが、主人公が見ていない場面・人物は書けませんので、自然と書けるシーンが限られてしまうのです。)
 
最近の小説では、各話ごと(あるいはページごと・章ごと)に視点(主人公)が切り替わっていくものも多いですが…
 
それでも、その話の中(そのページの中・その章の中)での視点は固定されてしまいますので、制限があることに変わりはないかと…。
 
一方、そんな三人称のメリットは、ズバリ「主人公が知らない情報も書ける」ということです。
 
主人公が見ていないスキに嫌がらせをしていた犯人は誰なのか、ですとか…
 
主人公が気絶している間に助けてくれたのは誰なのか、ですとか…
 
主人公がまだ知らない“重大な秘密”さえ、先に読者に教えることが可能です。
 
「秘密をバラすタイミング」は、物語の評価を左右する大事な要素です。
 
読者がソレを知るタイミングを「主人公と同時」にするのか…
 
それとも、主人公より先に知らせておいて「この主人公は、まだコレを知らないんだ…」「いつ主人公がコレを知るんだろう」と、読者をドキドキハラハラさせるのか…
 
三人称なら、どちらも選ぶことができます。
 
(一人称でも、視点を上手く切り替えていけば、できないこともないでしょうが…。)
 
それと、三人称のメリットでもう1つ挙げられるのが「説明が自然に入れやすい」ということです。
 
三人称の地の文には「人格」が乗っていませんので、説明文もサラッと普通に入れられます。
 
しかし、一人称の場合、何を説明するにも、主人公の人格を通して説明しなければなりません。
 
なので、時に説明しづらかったり、不自然な説明になってしまうこともあるのです。
 
たとえば、勉強嫌いで「歴史なんてまるで覚えていない」という主人公が、突然、歴史についてスラスラ説明し始めたら、不自然ですよね?
 
天然おばかキャラのはずの主人公が、突然、理路整然と状況を説明し始めたら、不自然ですよね?
 
一人称では、主人公のキャラクターに合わない言動は書きづらいですし、書くとキャラがブレてしまうことがあるのです。
 
しかし、物語の都合上、どうしても説明を入れなければならないこともある…そこが、難点なのです。
 
(…まぁ、この点に関して言えば、気づかない読者はそんな「不自然さ」にも全く気づかず、普通に読み流す気もしますが…。)
 
一人称と三人称には、こんな風に、それぞれメリットもデメリットもあります。
 
小説を書き始める際には、そんなメリット・デメリットを踏まえて「どちらの方が書きやすいか」検討してみるのが良いかと思います。
 
「何となく」で決めてしまうと、後で、書きづらくなって筆が止まりかねませんし…
 
途中で「やっぱり変えよう」となって書き直すのは、なかなか大変な作業ですので…。
 
また、作者によって「どちらが得意か」「どちらが合っているか」というのもあるかと思います。
 
一度は両方書いてみて「どちらが得意なのか」を見定めておくと、作品のクオリティーUPにも役立つかも知れません。

 


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今の時代、ネットで簡単に調べられる知識はたくさんあります。

入手するのにお金も時間もかかる紙の本と比べれば、ネットならお金も時間もそうそうかかりません。

小説の「資料」とするのに「ネットだけでは駄目なのか?」「紙の本の方が良いのか?」と、悩まれている方もいらっしゃるかと思いますが…

個人的には「どんな小説を書くのか」「どの程度“正確な”知識を求めているのか」によると思っています。

まず、ネットでの資料調べにはリスクが伴います。

インターネット上で飛び交う情報は玉石混交。信頼性の高い情報もあれば、低いものもあります

ウィキペディアなどの大手サイトでさえ、時には情報を改ざんされてしまうことがあります(炎上事案に関わる記事などで、過去に実際起きています)。

そのため、ネットで知識を集めるには、情報の真偽を見極める目「ネットリテラシー」が必要不可欠となります。

ただ…書こうとしているものが「完全オリジナルなファンタジー」で、「現実の知識と合っていなくても構わない」「むしろ既存のファンタジー知識にだってアレンジを加えている」くらいのものなら、情報が正確かどうかは、あまり関係ないのかも知れません。

それと、ネット調べのデメリットとして「検索ワードが分からなければ、そもそも調べられない」ということがあります。

「エルフ」「ユニコーン」のように、特定の単語から知識を検索するなら、ネット検索はとても簡単・便利です。

しかし「耳の長い、妖精っぽい種族」「一本角の生えた馬」といった「概要」は分かっていても、そのものを表す「単語」を知らなかったなら…ネット検索は一気に難しくなります。

また、ネット検索では「既知の情報からの検索」しかできませんので、「未知の情報を探す」ことはできません

つまり「自分の知らない知識・雑学を新たに手に入れたい」という時には不向きということです。

こういった「知らない単語」「未知の知識」を入手するのに有効なのが、紙の本(文献)です(最近は電子書籍もあったりするので「紙の本」と書いてしまうと、多少語弊があるのですが…)。

ひとつひとつが断片的なネット情報と違い、紙の本は「ある一定の事柄」について、情報が「まとまって」書かれています。

それは、自分が知りたかった情報以外にも、「思いがけない新しい知識」を入手できる、ということです。

たとえば「エルフ」のことが知りたくて「妖精・幻獣」についての本を読んだなら、今まで知らなかった「エルフ」以外の別の妖精・幻獣についても知ることができる、ということです。

そうやって「それまで知らなかった知識」をどんどん仕入れられれば、自分の中の「引き出し」が増えます。

「引き出し」が増えればアイディアが湧きやすくなりますし、小説の幅も広がります。

ただし…紙の本の難点は「(自分にとって)必要の無い知識も、多く書かれている場合がある」ことです。

数百ページある文献を読み込んだのに、自分の欲しかった知識はその中のほんの数行だけ…ということもあります。

また「自分の欲しい知識の書かれた本を探す」こと自体が難しい、ということもあります。
 
紙の本は情報量が多く、自分の欲しい情報がメインに据えられているとは限りません。
 
よって、タイトルや概要からは「自分の欲しい情報が載っているのかどうか」さえ分からない、ということもあるのです。
 
なので、個人的にオススメするのは「普段から気になる資料本を収集しておく」ことです。
 
たとえば、たまたま大都市の大きな書店へ行く機会があった時、図書館へ行った時などに、めぼしい資料を漁っておくのです。
 
ネット書店と違い、リアルな本屋さんや図書館ならば、直接本を手にとって、パラパラ中身を確認することも可能です。
 
そうやって「そのうち小説の資料として使えそう」な本を入手しておくのです。
 
ただ…紙の本は場所を取りますので、めったやたらと本を増やしていくと、大変なことになってしまうのですが…。
 


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管理人・津籠睦月の各オリジナル小説の「メイキング制作秘話的なもの)」を、少しずつnoteさんでまとめています。
 
(「こんなこと考えながら小説書いてます」という、ほぼ「そのまんま」なタイトルでまとめています。)
 
このブログで書いていることと、多少カブる部分もあるのですが…
 
大きな「違い」としては…このブログでは、なるべく他の方でも使いやすいような「一般的」なテクニックやメソッドをまとめているのですが、noteまとめの方は、管理人が自作品を書く上で実際に行ってきた「独自」の工夫や実験的手法を載せています。
 
このブログ(PC版)の備考欄をご覧いただくと分かるかと思いますが、日々の読書だけでああいうスペックに育ってしまう、ちょっと変人じみた作者の「独自工夫」ですので、かなりマニアックで、他の方には真似し難い・理解し難いものもあるかも知れません。
 
また、時にはただの「苦労話」で終わってしまうものもあるかも知れません…。
 
ただ、実際に小説を執筆した上での「メイキング」ですので、このブログに書いているような「一般的」なテクニック・メソッドより、より「具体的」で「濃い」話は多いと思います。
 
下に「もくじ」ページへのリンクを載せておきますので、ご覧いただけたら嬉しいです。
   ↓
こんなこと考えながら小説書いてます|もくじ
 



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今回は小説の「推敲」について、まとめていこうと思ったのですが…
 
いざ記事を書き始めようとした時に「いや、推敲以前に必要なものがあるぞ」「逆に、それを語れば“推敲の仕方”を語ったのと同じことになるんじゃないか?」ということに気づいたので、その「推敲をするよりも前に備えておくべきもの」について、まとめていこうと思います。
 
具体的なことは以下にまとめていますが、それが備わっているか・いないかで、推敲のレベル――ひいては小説のクオリティーが雲泥の差になると思われます。
 
既にこれが「出来ている」人もいるでしょうし、万人に通じるかどうかは分かりませんが、参考程度にご覧ください。 
自分の作品にダメ出しできるメンタル
自分の欠点やダメな部分を指摘されるのは、誰にとっても嫌なものでしょう。
 
たとえそれが自分自身であっても、自分の作品のダメなところをいちいち探して「何がダメなのか」を考えるのは、心がすり減る作業でしょう。
 
しかし、これを上手くこなすことが出来るようになれば、小説のクオリティーは飛躍的にUPするのです。
 
ならば、そんなメンタルを鍛えるためにはどうすれば良いのか…。
 
以前書いた「批判やネガティブ・コメントの受け止め方」とも若干共通することになりますが…
 
まずは「自分はまだ進化の途中なんだ」という意識を持つことです。
 
「今がダメ」でも「未来もダメ」とは限りません。
 
むしろ「未来の自分/未来の作品」をより良くするために、「今ダメな部分」を変えていくのです。
 
「今ダメな部分」は「改善すれば改善するだけレベルUPする部分」――すなわち「伸びしろ」です。
 
そんな「伸びしろ」が、探せば見つかるなんて、考えてみれば希望のある話ではないですか?
 
「今の自分」に簡単に満足してしまわずに、むしろ改善点を見つけ、「よし!自分はまだまだ伸びる!」という意識を持っていた方が、きっと物書きとして成長できるはずです。
 
自分の作品を「客観視」できる目
いつも書いていることですが、人間は十人十色。
 
知識量も漢字能力も読解力も、個々人で違っています。
 
そして人は無意識のうちに「自分自身」を基準にし、「自分のモノサシ」で物事を判断しているものです。
 
たとえば、作者が当たり前のように「前提」とし、特に説明も何も入れていない知識――その知識を持たない読者が読めば、意味が分からないことでしょう。
 
たとえば、作者が何の意識もせずに使っている漢字――ルビが無ければ読めない人もいることでしょう。
 
また、作者は物語の設定を最初から熟知し、理解しているわけですが、読者はその設定を「小説の中で読んで初めて知る」わけです。
 
人間というものは、無意識のうちに「他人も自分と同じ知識を共有している」気になって、うっかり説明を「はしょって」しまったり、必要な情報を書き洩らしてしまいがちです。
 
しかし、書かれてもいない設定を、読者が理解できるはずもありません。
 
そうやって読者を「置き去り」にしないためには、自分の作品を「自分以外の他の人間が読んでも、ちゃんと分かるかな?おもしろいかな?」と客観的に見つめる能力を磨くことです。
 
とは言え、既に持っている知識や能力を失くすことはできませんし、自分という人格を失くして他人になりきることもできません。
 
「主観」を消し切れない以上、完璧な「客観視」など不可能に近いことでしょう。
 
しかし、「自分はこう思って書いているけど、他人は違う風に読み取るかも知れない」と疑問を持ってみるだけでも、違ってくるはずです。
 
「おもしろさ」に対して貪欲になる
小説は自分の書きたいシーンや、自分の得意なものだけで構成されているわけではありません。
 
書くのが難しいシーン、面倒くさい説明、不得意な分野のことなどは、ついつい避けてしまったり、誤魔化してしまったりすることもあることでしょう。
 
しかし、そんな風に妥協してしまった部分の中には「ちゃんと書けば、もっと小説が面白くなる」ものもあるはずです。
 
「難しいから」「自分には無理」と諦めてしまわず、貪欲に「より面白いシーン」「より良い文章」を求めることで、小説のクオリティーも執筆力も上がります。
 
…ただ、実際に能力が足りていないのに、無理に難しいことをやり過ぎると、その分「完成度」が落ちてしまうことがあるので、その辺りのバランスを考えるのが難しいのですが…。
 


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小説というものはノンフィクション小説でない限り、全て「作りごと」のフィクションです。
 
しかし、だからと言って、あまりにもリアリティーが無さすぎると「興覚め」されたり、作品が軽く見られてしまうことがあります。
 
ならば、どうやってリアリティーを出したら良いのか…
 
今回はそんな「リアリティー出し方」をまとめていこうと思います。
 
いつものことながら、以下はあくまで管理人が「やりやすかった」やり方であり、人によりベストなやり方は違ってくると思いますので、参考程度にご覧ください。
資料をちゃんと調べて情報に自信を持つ
文章が「自信の無い」「あやふや」な書き方だと、信憑性に欠けますし、読者からも信じてもらえません。
 
かと言って、知識の無いものを「知ったかぶり」で書いて、後で間違っていたことがバレると、それはそれで信頼性がなくなります。
 
なので、調べられる資料は調べ、身につけられる知識は身につけ、作者自身が「自信を持って」文章を書けるようにすれば、リアリティーもUPするはずです。
 
自分が納得できないモノを書かない
上の「資料をちゃんと調べて…」と似たようなことになりますが、物語の中で語られる言葉に作者自身が「疑い」を持っていると、どうしてもそれが文章に出てしまう可能性があります。
 
作者自身さえ疑って書いているものに、読者が「説得力」を感じてくれるとは思えません。
 
なので、物語はなるべく「自分の納得できるもの」を描いた方がリアリティーが出やすいでしょう。
 
(もちろん、作者が疑問に思っているものを、そのまま「疑問」の形で作品に出すなら、それはそれでリアリティーになるわけですが。)
 
もしくは、何となく納得がいっていないモノがあるなら、納得のいくまで頭の中で煮詰めてから物語に書き込むことです。
 
もっとも、物語には様々な人格のキャラクターが登場し、中には作者と真逆の性格・思想を持っているキャラもいるでしょうから、そういうキャラの言動を作者自身が「納得」して「説得力」のあるように書くというのは、なかなか難易度の高いことですが…。
 
ご都合主義になり過ぎない
「結局最後は主人公が勝つ」「運が主人公の味方をする」という展開は、ある意味カタルシスであり、エンターテイメント的には大事なことかと思います。
 
しかし、行き過ぎればリアリティーをなくします。
 
かと言って「ご都合主義」を全くなくせば良いかと言えば、そういうわけではなく、これは「エンタメ的な気持ち良さとリアリティーとの間で上手くバランスをとる必要がある」という話です。
 
そのバランスのとり方も、シリアスかコメディかによっても違ってくると思いますし、個々人によって好みも分かれるので難しいところだと思いますが…。
 
隠し味に「リアル」を混ぜ込む
「嘘を信じ込ませるためには、その中にほんの少しの真実を混ぜればよい」というのはよく言われていることですが、フィクション小説にも似たようなことが言えます。
 
フィクションの物語の中に、ほんの一滴、隠し味のように「ノンフィクション」の部分を混ぜ込めば良いのです。
 
それは例えば架空の国や制度の中に、現実の歴史の中に実在した過去の国や制度を「設定」として盛り込んでも良いですし…
 
登場人物の心情や感覚の描写の中に、作者の実体験に基づく描写を混ぜ込んでも良いと思います。
 
たとえばファンタジー小説に出て来るような重い鉄の剣を「現実に」持ったことのある人はなかなかいないでしょうが、重い鉄アレイを持ったことのある人や、剣と同じような大きさの鉄製シャベルを持ったことのある人なら結構いるでしょう。
 
その時に自らの五感で感じ取ったモノを、ファンタジーの剣を持った描写に「置き換えて」書けば良いのです。
 
自論ですが「想像力とは記憶データの応用である」と思っています。
 
自分の記憶の中にある「小説の中のシーンと“似た”思い出」を探し出し、“応用”して、架空のシーンを描写していけば良いのです。


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もし更新が滞ったり、コメントくださって返事がなくても「あぁ、仕事が忙し過ぎて時間が無いんだな」と気長にお待ちいただければ幸いです。

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管理人プロフィール
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津籠睦月(つごもりむつき)
職業:
社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
趣味:
小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
好きな小説ジャンル:
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
備考:
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。

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