管理人がどうやってオンライン小説サイトを作っていったのか、その実体験によるノウハウや悪戦苦闘の日々をつづるWEB小説制作日記ブログです。
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まず先に書いておくと、歴史小説とは「もっぱら過去の時代の“様相”を描こうとする小説」、時代小説とは「単に過去の時代を“背景”とする小説」と辞書等では定義されています。
微妙に分かりづらいですが、要するに歴史小説と時代小説の違いは「歴史を“テーマ”として扱った小説か」「“設定として”過去の時代を“舞台”に選んだというだけの小説か」ということになるのかと思います。
ただ、どちらにせよ過去の時代を扱う以上、そこには歴史資料のリサーチ、時代考証という、共通の“課題”が存在しています。
なので、今回はそんな資料調べ・時代考証を中心に歴史/時代系の小説を書く上で自分が感じたことを語っていきたいと思います。
微妙に分かりづらいですが、要するに歴史小説と時代小説の違いは「歴史を“テーマ”として扱った小説か」「“設定として”過去の時代を“舞台”に選んだというだけの小説か」ということになるのかと思います。
ただ、どちらにせよ過去の時代を扱う以上、そこには歴史資料のリサーチ、時代考証という、共通の“課題”が存在しています。
なので、今回はそんな資料調べ・時代考証を中心に歴史/時代系の小説を書く上で自分が感じたことを語っていきたいと思います。
- まずは自分のリサーチ・スキルを把握する
- 歴史小説にするのか、時代小説にするのか、あるいはフィクションをふんだんに盛り込んだ「歴史/時代ファンタジー」にするのか…それは、まず自分の“資料調べ”に関する“能力”、あるいは“好き嫌い”を把握した上で判断するのが良いかと思います。
元から歴史が大好きで、歴史のことに詳しくて、資料調べも苦でない、という方なら、ガッツリと“歴史小説”に取り組んでも問題は無いと思います。
しかし、資料調べに自信が無かったり、資料を読み込むのが嫌いだったり、細かな時代考証など考え始めると心が折れる、という方なら、ある程度の部分をフィクションとして自分の想像で補える“時代小説”や“歴史/時代ファンタジー”にしておくのが無難かも知れません。
まだ自分のスキルがどの程度か分からないという方は、いきなり難しいことには挑戦せず、まずは、多少の歴史知識の甘さは誤魔化せる(かも知れない)“フィクション多めの小説”から始めてみるか、使用する歴史知識を絞り込んだ短編などを習作として書いてみるのが良いかと思います。
ただ「歴史知識が充分にあって自信もあるけれど、自分で考えた架空の人物や物事をたくさん入れたいから、時代小説や歴史/時代ファンタジーで行く」というのはもちろんアリだと思います。 - どの時代を選ぶのか
- 過去の時代と言っても、日本の歴史だけでも、古代・平安・戦国・江戸・明治などなど、大雑把に分けても様々な時代が存在しています。
その中で“どの時代”を選ぶのかによっても、小説執筆の難易度は変わってきます。
まず、時代の古さ・新しさによって資料の数・質が大幅に変わってきます。
たとえば古代のように文字の存在しない時代には、当然、文字資料など存在しませんので、発掘調査の結果などから当時の様子を“想像”するくらいしか、その時代を知りようがありません。
逆に、一般庶民にも文字が普及した江戸時代以降の時代には、資料が溢れ過ぎていて、欲しい情報を絞り込むのに苦労したりもします。
また、メジャーな(人気のある)時代を選ぶと、歴史ファンなどでその時代のことに詳しい人が結構いたりしますので、歴史知識や時代考証が甘いと読者からツッコミを入れられる可能性があります。
逆にマイナーな時代を選ぶと、そもそもその時代に人気が無かったりしますので、その時代の魅力をアピールするのに苦労したり、そもそも読者がなかなか集まらなかったりする可能性があります。
ただ、自分の好きな時代でないと、資料調べのモチベーションが上がらないので、結局は自分が一番書きたいと思える時代――「この時代のことなら調べるのも苦じゃない!」という時代を選ぶのがベストかと思います。 - 「ソレがいつの時代から使われ始めたものなのか」を意識する
- 時代考証のポイントのひとつが、「その物あるいは事が“いつから”使われ始めたのか」を考えることです。
明治時代から導入されたモノが江戸時代の小説に出てきたらおかしいですし、過去の時代の人物が現代用語をペラペラ口にしていたら違和感が生じる、ということです。
もっとも言葉に関しては、全てを全て当時の言葉で表現するとなると「それ、どこの古文書ですか」という話になってしまいますので、“時代っぽさ”を感じさせつつも、現代人にも分かりやすい文章という、難しいバランス感覚が必要になってきます。
カタカナ言葉や横文字言葉に注意する(出さない)のはもちろん、時代考証のクオリティーを重視するなら、小説内に登場する小道具や制度、慣用句などにも注意を払って意識していくことが大事になるかと思います。
(ことわざや慣用句の中には、歴史的な出来事や江戸時代の歌舞伎などがルーツとなっている言葉が、少なからずあります。そうなると当然、その語源となった物事より以前の時代にソレが使われていると「おかしい」ということになるのです。…歴史ファンでも気づかない人は気づかない細かい部分ではあるでしょうが…。)
ちなみに自分は古代ファンタジー小説を書いた際、時代考証に「日本語源大辞典」等を活用していました。
(ただし倭風描写版の方のみ。普通描写版の方ではあえて現代に近い言葉も多く使っています。) - 参考文献(資料)に対するカンを磨く
- 過去の時代について調べるには、その時代に関する資料を読み込まねばなりません。
しかし、小説中に使いたい事柄についてピンポイントに解説した資料を探すのは、なかなかに難しかったりします。
たとえば上でも書いた通り「〇〇はいつから使われだしたのか」ですとか、「時代劇によく出て来るアレって、何て名前なんだろう?」ですとか…。
たとえばネットで検索するにも「検索ワード」が分からなければ上手く探せないように、資料を探すにもコツが要ります。
近場に大きな本屋や古書店や蔵書量の多い図書館などがあるなら、歴史コーナーの本をパラパラ読んで、使いたい知識が載っているかどうか確認することもできますが、地方ではそうもいきません。
田舎では近くに大きな本屋もそうそう無いので、本を買うにはネット通販頼みになってしまったりするのですが、資料系の本は高いので、本のタイトルや著者名、表紙などの情報しか無い状態で買うのは、なかなかにギャンブルだったりするのです。
欲しい知識の載っていない“ハズレ”を引かないためには「どんな本に欲しい知識が載っていそうか」というカンを磨いていくしかないのですが…これは数をこなして経験を積んでいくしかないのかも知れません。
ちなみに以前、とある新撰組マンガの作者さんの体験談で「江戸時代の生理(月経)事情についてなかなか資料が見つからず、ダメ元で江戸時代のトイレ事情に関する本を読んでみたら、そこに生理のことについても書いてあった」という話を読んで以来、自分も資料を探すにあたっては、頭を柔らかくして「一見関係無さそうな本にも一応注目してみる」ようにしています。
あとは、本に限らず普段から広く様々な情報にアンテナを張っておくことも重要かと思います。
(関連記事>小説の資料は本のみにアラズ。) - ネット情報や物語は鵜呑みにせず、ウラを取るようにする
- 欲しい情報をタダで素早く入手できるネット検索は便利なものですが、その情報は正確なものから少し怪しいものまで玉石混交に混じっています。
なので、ネットで知識を得る場合には「これは本当に正しい情報なのか」と一度は疑ってみる必要があります。
それが信頼できるサイトのものなのかどうか、参考文献は示されているのか等…。
それと、時代を調べる上で見落としがちなポイントのひとつに「“物語”に描かれたことを鵜呑みにしてはいけない」ということがあります。
小説にマンガ、ドラマに映画等々、歴史を描いた物語は数多く存在しています。
現代人の中には、そういうものから歴史を学んできたという方も数多くいることでしょう。
しかし、物語はあくまで物語であり、そこには物語をより劇的にするための演出や脚色が含まれていたりするものです。
物語のイメージから史実だと思い込んでいたものが、実際には違っていた、というのはよくあるケースですので、そこも注意が必要です。
ただし、全てを全て史実に忠実に描いていくとなると、地味になり過ぎてしまったり、面白味に欠けてしまったりする可能性がありますので、自分で実際に歴史/時代小説を書く際には、やはりある程度の演出や脚色は必要になってくるのかも知れません。
<関連記事>
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小説をもう終わらせたいのに、何だかダラダラと続いてしまって上手く締まらない――そんな経験は無いでしょうか。
自分もかつては、上手いシメの文章が思いつかず、ダラダラとエピローグの文章が増えてしまうことに悩んでいました。
小説のシメには、やはりスパッと気持ち良く終われる一文が欲しいものです。
今回は、そんな「自分が気持ち良く終われる小説のシメ方」を追い求めて試行錯誤していった果てにたどり着いたテクニックをいくつかご紹介します。
とは言え、どんな締め方がその人にとって気持ち良いのかは人それぞれでしょうから、あくまで1人の人間の意見として参考程度にお読みください。
自分もかつては、上手いシメの文章が思いつかず、ダラダラとエピローグの文章が増えてしまうことに悩んでいました。
小説のシメには、やはりスパッと気持ち良く終われる一文が欲しいものです。
今回は、そんな「自分が気持ち良く終われる小説のシメ方」を追い求めて試行錯誤していった果てにたどり着いたテクニックをいくつかご紹介します。
とは言え、どんな締め方がその人にとって気持ち良いのかは人それぞれでしょうから、あくまで1人の人間の意見として参考程度にお読みください。
- 文末を変えてみる
- 文章の末尾にはいろいろな形があります。
文末が「…だ。」で終わっているのか「…である。」で終わっているか、あるいは「…なのである。」で終わっているのかという些細な違いでも、受けるイメージは変わってきます。
小説のシメに使おうとしている一文が「何だかしっくり来ない」時には、試しに文末の形を変えてみてはいかがでしょうか。
- シメにふさわしい一文を先に使ってしまっていないか確認
- エピローグがダラダラ長くなり過ぎて、何とかならないかと読み返していた時、ふと「あれ?この一文、シメとして最後に持ってきたら、上手くまとまるんじゃないか?」という一文を見つけたことがあります。
なにげなく「途中の文章」として使ってしまっていた一文を、流れを変えて最後に持ってきてみたら、案外上手く小説が締まることもあります。
(たとえばA→B→C→Dの順番で並んでいた文章をA→C→D→Bに変えてみるなど。)
あるいは「元々使おうと思っていたけれど何だかしっくり来ないシメの一文」も、その前段階の文章の流れを変えてみればシメとして上手く機能するようになる場合もあります。
(たとえばA→B→C→Dの順番で並んでいた文章をA→C→B→Dに変えてみるなど。)
また、さらには前段で記述した「文末を変えてみる」を組み合わせ、途中で書いていた「“何となく”シメになりそうな一文」を、何とか形を変えてシメに“ふさわしい”ものに変更した上で小説の最後に持って来る、という手もあります。
- 「 」で終わらせる
- 小説の最後を主人公、あるいは他の登場人物の台詞で終わらせる、というのもひとつの手段です。
台詞以外のいわゆる「地の文」をしっくり来ないままダラダラ書き続けるより、キャラクターに何かを言わせて、そこでスッパリ小説を切った方が、小説をスッキリ終わらせられたりします。
(たとえば勇者がラスボスを倒して帰ってきて、待っていた家族に「ただいま」と言って終わるなど。(←あくまで例えなのでテンプレなのは承知の上。)) - 未来視点からの「まとめ」で終わらせる
- おとぎ話によくある「こうして二人は末永く幸せに暮らしました。」のように、未来からの視点でその物語の行く末をまとめて終わらせるのも、ひとつの手段です。
主人公たちの後日談をそのまま現在進行形で記述すると、文章が長くなってしまいますので、数年後、あるいは数十年後の未来の視点から、その後彼らがどうなったのかを、短くまとめて終わらせるのです。
- サプライズで終わらせる
- 書き手を選ぶ高度なテクニックではありますが、読者を驚かせるようなサプライズをババンと提示して、そこで小説を終わらせることができたなら、とてもインパクトのある終わらせ方になります。
(たとえば、死んだと思っていた仲間が実は生きていた、など。あらかじめ伏線を張ってからの回収でないと「唐突感」が出てしまって安っぽくなってしまうので、書くには技術と覚悟が必要ですが…。)
“小説の結末”としてのサプライズですので、そのサプライズも後味の悪い“嫌な”サプライズではなく、読後感をスッキリさせるようなハッピー・サプライズの方が望ましいかと思います。
(そういうイヤミス的なモヤッとする読後感が好きな方もいるでしょうから、好みにもよると思いますが…。)
…と、こんな感じですが、結局はセンスを磨いていくしかないと思いますので、もし時間に余裕があるようなら短編をたくさん書いて小説の終わらせ方を“練習”していくのが一番良いかと思います。
あるいは長編でも各段落の“終わり”を「スッキリきれいに終わらせる」よう“意識”するようにするなど…。
ちなみに管理人の自作小説で言うなら「 」で終わっているのが「夢見の島の眠れる女神」、未来視点からのまとめで終わっているのが「ブラックホール・プリンセス」(←未完のシリーズものですので、各Episodeがそんな感じで終わっているということですが。)、サプライズで終わっている(?)のが「花咲く夜に君の名を呼ぶ」(←実際サプライズがサプライズとして機能しているかどうかは作者本人には分からないのですが。)になります。
小説テクニック向上のために書いてきた習作が恋愛SSシリーズ「まるで純度の高い恋の結晶のような…」で、これは文章の順番や流れを入れ替えたり、ちょっと文言を変えてみたりと四苦八苦しながらシメを作ったものが多いです。
あるいは長編でも各段落の“終わり”を「スッキリきれいに終わらせる」よう“意識”するようにするなど…。
ちなみに管理人の自作小説で言うなら「 」で終わっているのが「夢見の島の眠れる女神」、未来視点からのまとめで終わっているのが「ブラックホール・プリンセス」(←未完のシリーズものですので、各Episodeがそんな感じで終わっているということですが。)、サプライズで終わっている(?)のが「花咲く夜に君の名を呼ぶ」(←実際サプライズがサプライズとして機能しているかどうかは作者本人には分からないのですが。)になります。
小説テクニック向上のために書いてきた習作が恋愛SSシリーズ「まるで純度の高い恋の結晶のような…」で、これは文章の順番や流れを入れ替えたり、ちょっと文言を変えてみたりと四苦八苦しながらシメを作ったものが多いです。
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ネット上に小説を発表する方法にもいろいろある、ということは以前の記事にも書きましたが、今回はその中でも自作小説サイトと投稿小説サイトについて比較していこうと思います。
結論を言えば「どちらが良いのかは“何をやりたいのか”次第」ということになるのですが…
以下、いくつかの視点から、それぞれのメリット・デメリットを挙げていきたいと思います。
結論を言えば「どちらが良いのかは“何をやりたいのか”次第」ということになるのですが…
以下、いくつかの視点から、それぞれのメリット・デメリットを挙げていきたいと思います。
- 小説UP&管理にかかる手間
- 1つの小説をUPすることにかかる手間を考えれば、断然「投稿サイト」さんの方が簡単です。
(何せ、テキスト文章を用意して投稿すれば良いだけなのですから。)
自作サイトで小説を発表するにはホームページ制作のスキルが必要で、その手の知識の習得やホームページ制作ソフトを購入するところから始めなければいけない場合も多々あります。
(あらかじめテンプレートが用意されているサーバーさんなら、ある程度手間を省けますが、投稿サイトさんよりは難易度が高いということは変わらないと思います。)
さらには自作サイトの場合、ネット環境の変化等によるトラブルにも自力で対処しなければいけないので、大変です。
(実際、管理人もブラウザ(インターネット閲覧アプリ)の違いやバージョンアップによりサイトのレイアウトが崩れるようになった等、トラブルを経験しています。)
- 集客性
- 集客力という点で見れば、利はおそらく「投稿サイト」の方にあります。
たとえば自作サイトが町中の個人商店だとするなら、投稿サイトは大型ショッピング・モール内のテナントといったイメージです。
ショッピング・モールなら、それ自体に集客力があり、そのモールの入口(投稿サイトさんで言うならTOPページ)までは放っておいてもお客様が来てくれます。
しかし町中の個人商店だと、まずはお客様に自分の店の存在を“認知してもらう”ところから始めなければいけません。
小説検索(サーチ)サイトさんに登録したり、SNSでPRしたりと、とにかく自サイトを認知してもらうべく、集客の努力が必須になります。
ただ、投稿サイトさんなら集客の努力は要らない、ということではありません。
大型ショッピング・モールでも、内部でテナント同士の競争があるように、たくさんの作品がひしめく投稿サイトさんでは、その中で作品同士の競争があります。
作品数が多ければ多いほど「埋もれる」確率も高いため「いかに自分の作品に目を留めてもらえるか」――自分の作品を「目立たせる」という努力が必要になってきます。
ただ、それでも人通りが全く無い可能性もある町中の商店よりは、人が通りかかる可能性が少しでも高いショッピング・モールのテナントの方が、集客努力は少なくて済むかも分かりません。
- 検索されやすさ
- 個人の経験の話ですが、うちの「自作サイト」の場合、まずグーグルさんに認知され、エゴサでヒットするまでに数ヶ月かかりました。
しかし、「投稿サイト」に投稿した方の小説は、UPしたその日にググって即座にヒットしました…。
(ちなみに両方とも、小説タイトルで検索しています。)
個人の小さいサイトと、大きな投稿サイトさんとでは、どうやら検索サイトさんの反応速度も違ってくるようです。
さらに言えば、個人の自作小説サイトが検索サイトさんで上位表示されるには、よほどの能力が無いと難しいかと思われます。
「ウェブ小説」やら「ネット小説」「ファンタジー小説」などの大雑把なくくりで検索してみたことのある方なら分かるでしょうが、上位に表示されるサイトは、ほとんどが投稿サイトさんや小説検索サイトさんばかりです。
ただ、そういった大雑把なくくりではなく、マニアックでピンポイントな単語で検索する読者様がいた場合は、個人の小さなサイトが上位表示される可能性もなくはないのかも分かりません。
(ただその場合、その小説自体がよほど“マニアック”で“他に無い”ものでないと駄目なわけですが…。よほどマニアックでマイナーな神話や伝説をモチーフにしているとか…。)
- デザイン・機能の自由度
- デザインや機能の自由さで言えば、圧倒的に「自作サイト」に利があります。
投稿サイトさんでもある程度デザインを選べたり、機能が選べたりするものもあるかと思いますが、それはあくまで「投稿サイトさんが予め用意したものから選ぶ」ということであり、「こんなことがしたい!」と思っていても希望が叶えられないこともあります。
また、たとえ小説の中身は違っていても、画面(デザイン)のパッと見は同じ投稿サイト内の他の小説と変わらないため「個性が無いなぁ」「つまらないなぁ」と思っている方も多いかと思います。
しかし自作サイトであれば、アイディアとスキルと工夫次第で「他のどこにも存在しない唯一無二の小説サイト」を創り上げることが可能です。
たとえば、小説本文ページ自体を、小説イメージに合わせて花柄にしてみるとか、宇宙模様にしてみるとか、羊皮紙のような柄にしてみるですとか…
小説のロゴを自作して、さらにはアニメーションさせてみるですとか…
小説内の単語をクリックすると、左横の小窓にその単語の説明が表示されるですとか…
小説本文の文章量や雰囲気を読者様がある程度カスタマイズできるようにするですとか…
モード選択で本文の文字がデコレーションされるようにするですとか…
さらにはそんな小説ページの見方をガイド動画にしてサイト内に貼り付けるですとか…
サイトとしての「個性」を出すことはもちろん、「これまでの既存の小説ではなかった“全く新しい小説の形”を創り上げる」ことさえ可能なのです。
…まぁ、そんな風に「やりたいことをやる」ためには、それ相応のスキルを身につけなければいけないんですけどね…。
ちなみに投稿サイトさんでも予め用意された機能をフルに使って工夫すれば「これまでに無いような形の小説」を作ることは(ある程度)できるかと思います。
(管理人がpixivさんに連載中の「選帝のアリス」は「ネット小説で乙女ゲームをする」ということをコンセプトに創っているのですが、当然、攻略キャラのルート選択が可能です。(そしてもちろん、隠しルートも仕込んであります。))
以上、読んでいただくと分かるかと思いますが「特別なことがしたいわけでなく、ただ普通に小説をUPしたい」というだけなら投稿サイトさんの方が断然ラクでメリットがあるかと思います。
ただ、それでも管理人が自作サイトを選んだ最大の理由を言えば、それは「そこにロマンがあるから」です。
投稿サイトさんを「家具などが予め備え付けられたデザイナーズ・マンション」にたとえるなら、自分の目指す自作サイトは「ほぼ1から自分の手で創り上げる“からくり忍者屋敷”」です。
(まぁ、さすがに壁紙や画像パーツは自作では足りないので素材集など使わせてもらっていますが。)
たとえ制作の過程が大変で、苦労もあって、出来栄えが思ったよりダサくなってしまうことがあるとしても「自分の手で、自分の“城”を創り上げる」そのこと自体に、とてつもない達成感や喜びがあるのです。
幼い頃(もしくは今でも)“ものづくり”が好きだった方、将来のためにホームページ制作スキルを身につけたいと思っている方、PCのプログラミングなどが好きな方などは、一度チャレンジしてみていただければ、面白いのではないかと思います。
…まぁ、そもそも悩むようなら同じ小説を自作・投稿の両方で発表してみればいいというだけの話でもあるのですが。
(ただし自作サイトの小説をあまりに“多機能”にしてしまうと、投稿サイトさんに移植した場合にどうしても機能劣化を起こすので、そう安易によそに移せない、というケースもありますが…。)
ただ、それでも管理人が自作サイトを選んだ最大の理由を言えば、それは「そこにロマンがあるから」です。
投稿サイトさんを「家具などが予め備え付けられたデザイナーズ・マンション」にたとえるなら、自分の目指す自作サイトは「ほぼ1から自分の手で創り上げる“からくり忍者屋敷”」です。
(まぁ、さすがに壁紙や画像パーツは自作では足りないので素材集など使わせてもらっていますが。)
たとえ制作の過程が大変で、苦労もあって、出来栄えが思ったよりダサくなってしまうことがあるとしても「自分の手で、自分の“城”を創り上げる」そのこと自体に、とてつもない達成感や喜びがあるのです。
幼い頃(もしくは今でも)“ものづくり”が好きだった方、将来のためにホームページ制作スキルを身につけたいと思っている方、PCのプログラミングなどが好きな方などは、一度チャレンジしてみていただければ、面白いのではないかと思います。
…まぁ、そもそも悩むようなら同じ小説を自作・投稿の両方で発表してみればいいというだけの話でもあるのですが。
(ただし自作サイトの小説をあまりに“多機能”にしてしまうと、投稿サイトさんに移植した場合にどうしても機能劣化を起こすので、そう安易によそに移せない、というケースもありますが…。)
「良い文章とは何だろう?」「文章力があるとは、どういうことだろう?」というのは「小説を書きたい」と思うようになってから、ずっと胸に抱いてきた疑問のひとつです。
たとえば、美辞麗句を使いこなせることや、一握りの人間しか知らないような難しい語句を操れることが、文章力の高さなのでしょうか…?
確かに、そういったものを“評価”する方もたくさんいることでしょう。
しかし自分は必ずしもソレが文章力の高さだとは思っていません。
かつては自分も、小説の中にハッとさせられるような美しい言葉、今まで知らなかった難しい言葉を見つけるたびに喜び「この作者さん、すごい」と思っていたことがあります。
しかし、中学生の頃には既に「ソレが本当に文章力の高さなのか?」と疑問を抱き始めていました。
どんなに美しい言葉を使いこなせても、どれだけ難しい言葉を知っていても、それが一握りの人間にしか理解されず、心に届かないものなのだとしたら、そこに意味はあるのだろうか、と。
世の中は徐々に活字離れが進行し、出版不況の影も迫り、自分の周りにも難しい小説や文学作品を読む人間はそれほど多くいませんでした。
それが「文章が難しくて理解できないから」「そもそも読む気が起きない文章だから」なのだとしたら、自分はそれを目指すべきではないのではないか、と。
ならば、自分が目指すべき文章――本当の文章力とは何なのか…。
モヤモヤ考え続けた果てに中学生当時の自分が辿り着いた“一定の結論”は「やさしい言葉で世界のあらゆる物事を説明できること」でした。
難しい専門用語を使って難しい理論を説明することなら、たぶん誰にでもできる(と当時の自分は考えていました。←実際にはそれ相応の知識とスキルが無いと厳しいでしょうが…。)――でも、幼稚園児や小学校低学年の子どもにも分かるような言葉でそれを説明することは、誰にでもできることではない――だから自分が目指すべきなのは、たとえばそんな幼稚園児や小学校低学年の子にアインシュタインの相対性理論を“理解”させられるような文章スキルなのだ、と。
(“たとえ”の具体例がとんでもなくハードルが高過ぎるので、未だにそこを実現できているとは思えないですが、まぁ、そこはあくまで例のひとつということで…。)
そしてソレを目指すために、具体的にどうしたら良いのかを考えました。
なまじ難しい単語を知ってしまうと、ついついソレに頼りがちになって「相手がその言葉で本当に理解ができるのか」「どうしたら分かってもらえる文章になるのか」を考えることがおろそかになってしまう気がしていました。
だったら「あえて難しい言葉を覚えない」ようにして、「今持っているカンタンな言葉だけを使って“全て”を説明できるよう工夫」してみたらどうなのか……
実際、中学校~高校時代の自分は、そうして「あえて自分の中に難しい言葉を入れないように・使わないように」していたことがあります。
(でも時々は難しい小説も読んでいた(たとえば高校時代なら遠藤周作さんの「沈黙」とか)ので、覚えようとしなくても勝手に入って来てしまうことはあったかも知れませんが…。)
易しい単語しか知らない・使わない、となると「そんなので本当に文章力が上がるのか?」「国語力が落ちるのではないか」と思われる方もいらっしゃるでしょうが――中学時代にそんなことを考えて、難しい言葉をなるべく使わないよう習慣づけていた自分が高校時代に模試で叩き出した国語の最高偏差値が80なので、あながちコレは、それほどひどく“間違った”考えではないと思っています。
(ただし、自分の場合は中学生になるまでの間の読書量もそれなりにあって、既にある程度の国語力が身についていたという“前提”があってのことだと思います。誰にでも当てはまることではないと思いますので安易に真似しない方が良いかも知れません…。)
ただ、そんな中学生当時の自分の「本当の文章力とは…?」の“答え”と“同じ考え”を持つ人には、今までに出会ったことがありません。
それどころか、まだまだ“文章自体の美しさ・技巧・凝った言い回し”が評価され、“やさしい言葉のみで書かれたもの”は評価されないどころか、逆に「文章力が無い」と「ナメられて」しまっているような気がしてなりません。
それはたぶん「美しい単語」「難しい単語」が文章の中に“在る”ということは、“目で見て誰にでも分かる”けれど、その文章が「分かりやすい」「心に真っ直ぐ届く」といったことは個人個人の感覚でしかなく、“目には見えない”“ハッキリとは分からない”あるいは“無意識過ぎて気づかれもしない”ことだからだと思います。
目に見える“言葉遣い”なら、評価はしやすいですし、その評価を他人とも共有しやすいでしょう。
けれど「何となく読みやすい気がする」「何だか妙に心に残る」「やけに心にひっかかる」といった“感覚”は評価にしづらく、他人とも共有しづらいものですし、そもそも本人が意識すらしていないかも知れません。
けれど、その「無意識のうちにでも、心に刺さる」ということが、「本当の文章力」なのではないかと、やはり自分は思うのです。
美しい言葉遣いや難しい用語を否定するわけではありません。
むしろ中学時代よりちょっと不純で小賢しくなった今の自分は「読者にナメられず、スゴイと思わせたいから、ちょっとレアな単語も取り入れよう」なんて思っているくらいですから…。
ただ、表面をどれだけ美しく、あるいは珍しく凝ったもので飾れても、それが読み手の心に残らず、一度読めばサラッと流されてしまうようなものでは「せっかく書いても、つまらないな」と思うのです。
美しい言葉や難しい言葉をたくさん覚えても、それはあくまで作品を彩る「スパイス」に留めておいて、それを「主」にはしたくないのです。
「美しい文章を書こう」「難しい技巧を使いこなそう」と、そればかりに心を囚われてしまっては、言葉を操るべき物書きが、逆に言葉という“道具”に振り回されてしまうような気がしてならないので…。
まぁ、文章力が高かろうが低かろうが、結局、小説にとって一番大切な命題は、その文章力を使って「“何を”描くのか」という部分だとは思っているのですが…。
たとえば、美辞麗句を使いこなせることや、一握りの人間しか知らないような難しい語句を操れることが、文章力の高さなのでしょうか…?
確かに、そういったものを“評価”する方もたくさんいることでしょう。
しかし自分は必ずしもソレが文章力の高さだとは思っていません。
かつては自分も、小説の中にハッとさせられるような美しい言葉、今まで知らなかった難しい言葉を見つけるたびに喜び「この作者さん、すごい」と思っていたことがあります。
しかし、中学生の頃には既に「ソレが本当に文章力の高さなのか?」と疑問を抱き始めていました。
どんなに美しい言葉を使いこなせても、どれだけ難しい言葉を知っていても、それが一握りの人間にしか理解されず、心に届かないものなのだとしたら、そこに意味はあるのだろうか、と。
世の中は徐々に活字離れが進行し、出版不況の影も迫り、自分の周りにも難しい小説や文学作品を読む人間はそれほど多くいませんでした。
それが「文章が難しくて理解できないから」「そもそも読む気が起きない文章だから」なのだとしたら、自分はそれを目指すべきではないのではないか、と。
ならば、自分が目指すべき文章――本当の文章力とは何なのか…。
モヤモヤ考え続けた果てに中学生当時の自分が辿り着いた“一定の結論”は「やさしい言葉で世界のあらゆる物事を説明できること」でした。
難しい専門用語を使って難しい理論を説明することなら、たぶん誰にでもできる(と当時の自分は考えていました。←実際にはそれ相応の知識とスキルが無いと厳しいでしょうが…。)――でも、幼稚園児や小学校低学年の子どもにも分かるような言葉でそれを説明することは、誰にでもできることではない――だから自分が目指すべきなのは、たとえばそんな幼稚園児や小学校低学年の子にアインシュタインの相対性理論を“理解”させられるような文章スキルなのだ、と。
(“たとえ”の具体例がとんでもなくハードルが高過ぎるので、未だにそこを実現できているとは思えないですが、まぁ、そこはあくまで例のひとつということで…。)
そしてソレを目指すために、具体的にどうしたら良いのかを考えました。
なまじ難しい単語を知ってしまうと、ついついソレに頼りがちになって「相手がその言葉で本当に理解ができるのか」「どうしたら分かってもらえる文章になるのか」を考えることがおろそかになってしまう気がしていました。
だったら「あえて難しい言葉を覚えない」ようにして、「今持っているカンタンな言葉だけを使って“全て”を説明できるよう工夫」してみたらどうなのか……
実際、中学校~高校時代の自分は、そうして「あえて自分の中に難しい言葉を入れないように・使わないように」していたことがあります。
(でも時々は難しい小説も読んでいた(たとえば高校時代なら遠藤周作さんの「沈黙」とか)ので、覚えようとしなくても勝手に入って来てしまうことはあったかも知れませんが…。)
易しい単語しか知らない・使わない、となると「そんなので本当に文章力が上がるのか?」「国語力が落ちるのではないか」と思われる方もいらっしゃるでしょうが――中学時代にそんなことを考えて、難しい言葉をなるべく使わないよう習慣づけていた自分が高校時代に模試で叩き出した国語の最高偏差値が80なので、あながちコレは、それほどひどく“間違った”考えではないと思っています。
(ただし、自分の場合は中学生になるまでの間の読書量もそれなりにあって、既にある程度の国語力が身についていたという“前提”があってのことだと思います。誰にでも当てはまることではないと思いますので安易に真似しない方が良いかも知れません…。)
ただ、そんな中学生当時の自分の「本当の文章力とは…?」の“答え”と“同じ考え”を持つ人には、今までに出会ったことがありません。
それどころか、まだまだ“文章自体の美しさ・技巧・凝った言い回し”が評価され、“やさしい言葉のみで書かれたもの”は評価されないどころか、逆に「文章力が無い」と「ナメられて」しまっているような気がしてなりません。
それはたぶん「美しい単語」「難しい単語」が文章の中に“在る”ということは、“目で見て誰にでも分かる”けれど、その文章が「分かりやすい」「心に真っ直ぐ届く」といったことは個人個人の感覚でしかなく、“目には見えない”“ハッキリとは分からない”あるいは“無意識過ぎて気づかれもしない”ことだからだと思います。
目に見える“言葉遣い”なら、評価はしやすいですし、その評価を他人とも共有しやすいでしょう。
けれど「何となく読みやすい気がする」「何だか妙に心に残る」「やけに心にひっかかる」といった“感覚”は評価にしづらく、他人とも共有しづらいものですし、そもそも本人が意識すらしていないかも知れません。
けれど、その「無意識のうちにでも、心に刺さる」ということが、「本当の文章力」なのではないかと、やはり自分は思うのです。
美しい言葉遣いや難しい用語を否定するわけではありません。
むしろ中学時代よりちょっと不純で小賢しくなった今の自分は「読者にナメられず、スゴイと思わせたいから、ちょっとレアな単語も取り入れよう」なんて思っているくらいですから…。
ただ、表面をどれだけ美しく、あるいは珍しく凝ったもので飾れても、それが読み手の心に残らず、一度読めばサラッと流されてしまうようなものでは「せっかく書いても、つまらないな」と思うのです。
美しい言葉や難しい言葉をたくさん覚えても、それはあくまで作品を彩る「スパイス」に留めておいて、それを「主」にはしたくないのです。
「美しい文章を書こう」「難しい技巧を使いこなそう」と、そればかりに心を囚われてしまっては、言葉を操るべき物書きが、逆に言葉という“道具”に振り回されてしまうような気がしてならないので…。
まぁ、文章力が高かろうが低かろうが、結局、小説にとって一番大切な命題は、その文章力を使って「“何を”描くのか」という部分だとは思っているのですが…。
SSとは、ショートショートの略、ショートストーリーの略、あるいはサイドストーリーの略など、語源については諸説ありますが、一般的に「“短編小説”よりもさらに短い小説」と考えて頂ければ良いかと思います。
SSは「短い小説」であるがゆえに、中編小説や長編小説、場合によっては短編小説とも違った“難しさ”があります。
特に「小説や文章を書くと、無意識のうちに長文化してしまう」という方にとっては、難しいタイプの小説だと思います。
かく言う自分も、かつては「小説を短くまとめる」ことが苦手でした。
ですが今は(クオリティーはどうか分かりませんが)一応、最短で479文字、最長で2962文字のSSを書くことができるようになりました。
SSは「短い小説」であるがゆえに、中編小説や長編小説、場合によっては短編小説とも違った“難しさ”があります。
特に「小説や文章を書くと、無意識のうちに長文化してしまう」という方にとっては、難しいタイプの小説だと思います。
かく言う自分も、かつては「小説を短くまとめる」ことが苦手でした。
ですが今は(クオリティーはどうか分かりませんが)一応、最短で479文字、最長で2962文字のSSを書くことができるようになりました。
(ちなみにそのSSはこちら→ 純愛SSオムニバス「純恋結晶(略)」 )
今回は、自分がそのSSを書く過程で「SSを書くのに役立つ」と思ったコツをいくつか書きだしていきたいと思います。
(あくまで個人の経験によるものですが、参考程度にお読みください。)
- 「アレもコレも」と欲張らない
- まず一番大切なのは「あのキャラクターも入れたい」「このエピソードも盛り込みたい」と一度に多くのものを盛り込みたがらないことです。
「アレもコレも」と、どんどん盛り込む要素を増やせば、当然その分、文字数が増えていきます。
「盛り込めなかった分は、また別のSSで入れればいいや」と割り切って、入れる要素を絞っていくことがSSを短くまとめる最大のポイントかと思います。
具体的にどんな要素を絞っていくのかは、以下の項目で述べていきます。
- 少ないシーンで構成する
- 短い小説にいくつものシーンを盛り込むのは、ボリューム的に無理があります。
なので、SSはワンシーン、もしくはごく少ない数のシーンで構成する必要があります。
どうしても複数のシーンを絡めたい場合には、回想やセリフとしてワンシーンの中に盛り込むか、各シーンを短くまとめていくしかありません。
できることなら予め、ワンシーンで構成しやすいような設定でSSを考えると良いと思います。
- 登場人物の数を絞る
- 登場人物の数が多いと、どうしてもそれだけ文字数が必要になります。
短い小説を書きたいなら、SSに登場させるキャラクターの数は少なく絞るべきかと思います。
- 説明・描写を短く済ませる
- 説明や描写に文字数を取られると、その分、文章が長くなります。
なので、状況説明やシーンの描写はなるべく簡潔に済ませた方が良いでしょう。
ただし、これには「簡潔に分かりやすく説明する」というスキルがどうしても必要になってきます。
そこは付け焼刃でどうにかなるものではありませんので、普段からスキルアップを心がけておくのがベターかと思います。
- 設定を厳選する
- 上記「説明・描写を短く済ませる」とも関連することですが、「複雑な設定はシンプルな設定より説明に文字数が必要」になります。
既に書いた長編のサイドストーリー的なSSであれば、ある程度は説明を省くことが可能ですが、それでも「どんなシーンで、登場キャラクターは今、何をしているのか」という説明は必要になることでしょう。
なので、文字数を節約したいなら、なるべく簡単に説明できるシーンを設定しておくに越したことはありません。
当然、“完全オリジナル”のSSであれば、設定を1から説明する必要がありますので、尚のこと、設定を厳選する必要があります。
ここで重要になってくるのは「簡単に説明できるからと言って“つまらない”設定を選ばない」ということです。
どんなに文字数を短くまとめられても、クオリティーが低くなってしまえば元も子もありません。
難しいことではありますが「簡単に説明できるけれど面白い設定」を頑張って見つけ出すか、「多少難しい設定でも簡潔に説明でき、まとめられる」スキルを身につけていくことが大切だと思います。
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