管理人がどうやってオンライン小説サイトを作っていったのか、その実体験によるノウハウや悪戦苦闘の日々をつづるWEB小説制作日記ブログです。
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前の記事「小説プロットの作り方2」でご紹介した「起承転結からのプロットの組み立て方法」は、わりと「大雑把」というか「ざっくり」したプロットの組み立て方でしたので、今回はもう少し細かいプロットの組み立て方法をまとめていきます。
これは自分がウェブ小説「夢見の島の眠れる女神(夢の降る島シリーズ第1話)」で実際に使ったプロットの書き方なのですが…
それは「その小説を全何章(全何話)で構成するか」を予め決めておき、その章ごとの内容アイディアを箇条書き、もしくはメモ書きしていく方法です。
津籠のウェブ小説サイト「言ノ葉ノ森」を初期からご訪問くださっている方ならご存知かと思いますが、「夢見の島の眠れる女神」は連載をスタートした当初から“予め”最終章までの章タイトルを「もくじ」ページに表示していました。
(ただし、そのうち3つの章は「演出のため」、完結した現在でも「もくじ」では章タイトルを伏せています。←理由は本編を最後まで読んでいただくと分かるかと思いますが、要するに章タイトルからのネタバレを防止するためです。)
つまり連載を開始した時から(と言うより、連載する前から)その小説が「全何章の構成」で、「それぞれの章にどんな内容を書くか」は既に決まっていた、ということです。
この方法では各章の内容が大雑把にでも決まっていないと連載が始められないため、前準備には時間がかかります。
しかし、実際に連載が始まってからは「それぞれの章で何を書くかが最初から最後まで既に決まっている」ため、少なくともストーリー展開で悩み行き詰まることはありません。
(ただし、そのストーリーを「どうやって文章に書き表すか」「どうすれば上手く描写できるか」という部分で悩むことはありますが…。)
…で、そんな章の構成と内容を実際どうやって決めていくのかですが……
自分の場合、それは「章タイトルのインスピレイション」で決めていました。
どういうことかと言うと、「第1章にはこんなタイトルをつけて、次の章はこんなタイトルにしよう…」という風に「自分の気分がアガる章タイトル」を、頭の中のぼんやりしたアイディアに「名付けて」いくことで、イメージを固め、プロットを作り上げていった、ということです。
たとえば自分は章タイトルにも工夫を凝らすのが好きなので「夢見の島の眠れる女神」の場合も、(前述の章タイトルを伏せた3つの章以外は)「全ての章タイトルに“夢”という一字を入れる」というアイディアを持っていました。
そのアイディアを元に、まだぼんやりモヤモヤしていた頭の中のストーリー・イメージに「君の生まれた日の夢」「夢鉱石の谷」「星のめぐる夜の夢」「悪夢の宴」などと章タイトルを「名付けて」いったのです。
イメージというのは面白いもので、名前の無い時にはモヤモヤしてとらえどころがないのに、名前を付けた途端、それがどんなイメージなのかハッキリ固まったりすることがあります。
自分にとっての章タイトルはそんな風に章ごとの内容を固めるための「コンセプト」であり「キャッチ・フレーズ」であり「章の概要を一言で表したモノ」でもあるのです。
また、章タイトルを名付ける際には、その「順番」についても予め検討していました。
たとえば「第1章は“世界観設定の説明パート”でもあるから、章タイトルはシリーズ・タイトルと同じ『夢の降る島』にして、空から夢が降ってくるシーンを入れよう」だとか「エピローグの1つ前の章は『物語の“締め”らしい』章タイトルで『夢路の果て』にしよう」だとか「物語の中盤に“悪夢”との戦いの章が続くから、その前あたりに『悪夢の予兆』というタイトルの章を入れて、バトル・シーン前の“嵐の前の静けさ”にしてメリハリをつけよう」だとか…。
中には「ストーリー・アイディアから章タイトルが出来上がった」のではなく、「章タイトルを先に思いついて、そのタイトルに合わせてストーリーを作っていった」という章もあります。
また、小説を「いくつの章で構成するのか」ということも、こうして「この部分に、こんな章タイトルを入れたい」と章を追加したりいろいろしているうちに、いつの間にか決まっていたりします。
実際「夢見の島の眠れる女神」は、そうして小説を構成する全15章(←プロローグ・エピローグ・断章と12の章を合わせて)全てに章タイトルをつけ終わった時、それがそのままこの小説のプロットにもなっていました。
(特に「夢見の島の眠れる女神」の場合は、もくじで章タイトルを伏せているプロローグ・エピローグ・断章の果たす役割が大きいので、それらの章タイトルと「断章をどこに入れるか」は小説の構成に大きな影響を与えました。)
結構「クセの強い」「個性的な」プロットの作り方かも知れないので、万人に当てはまる方法かどうかは分かりませんが、個人的には「モチベーションの維持にもつながる、楽しく、気分のアガるプロットの書き方」だと思っていますので、参考にしてみてください。
これは自分がウェブ小説「夢見の島の眠れる女神(夢の降る島シリーズ第1話)」で実際に使ったプロットの書き方なのですが…
それは「その小説を全何章(全何話)で構成するか」を予め決めておき、その章ごとの内容アイディアを箇条書き、もしくはメモ書きしていく方法です。
津籠のウェブ小説サイト「言ノ葉ノ森」を初期からご訪問くださっている方ならご存知かと思いますが、「夢見の島の眠れる女神」は連載をスタートした当初から“予め”最終章までの章タイトルを「もくじ」ページに表示していました。
(ただし、そのうち3つの章は「演出のため」、完結した現在でも「もくじ」では章タイトルを伏せています。←理由は本編を最後まで読んでいただくと分かるかと思いますが、要するに章タイトルからのネタバレを防止するためです。)
つまり連載を開始した時から(と言うより、連載する前から)その小説が「全何章の構成」で、「それぞれの章にどんな内容を書くか」は既に決まっていた、ということです。
この方法では各章の内容が大雑把にでも決まっていないと連載が始められないため、前準備には時間がかかります。
しかし、実際に連載が始まってからは「それぞれの章で何を書くかが最初から最後まで既に決まっている」ため、少なくともストーリー展開で悩み行き詰まることはありません。
(ただし、そのストーリーを「どうやって文章に書き表すか」「どうすれば上手く描写できるか」という部分で悩むことはありますが…。)
…で、そんな章の構成と内容を実際どうやって決めていくのかですが……
自分の場合、それは「章タイトルのインスピレイション」で決めていました。
どういうことかと言うと、「第1章にはこんなタイトルをつけて、次の章はこんなタイトルにしよう…」という風に「自分の気分がアガる章タイトル」を、頭の中のぼんやりしたアイディアに「名付けて」いくことで、イメージを固め、プロットを作り上げていった、ということです。
たとえば自分は章タイトルにも工夫を凝らすのが好きなので「夢見の島の眠れる女神」の場合も、(前述の章タイトルを伏せた3つの章以外は)「全ての章タイトルに“夢”という一字を入れる」というアイディアを持っていました。
そのアイディアを元に、まだぼんやりモヤモヤしていた頭の中のストーリー・イメージに「君の生まれた日の夢」「夢鉱石の谷」「星のめぐる夜の夢」「悪夢の宴」などと章タイトルを「名付けて」いったのです。
イメージというのは面白いもので、名前の無い時にはモヤモヤしてとらえどころがないのに、名前を付けた途端、それがどんなイメージなのかハッキリ固まったりすることがあります。
自分にとっての章タイトルはそんな風に章ごとの内容を固めるための「コンセプト」であり「キャッチ・フレーズ」であり「章の概要を一言で表したモノ」でもあるのです。
また、章タイトルを名付ける際には、その「順番」についても予め検討していました。
たとえば「第1章は“世界観設定の説明パート”でもあるから、章タイトルはシリーズ・タイトルと同じ『夢の降る島』にして、空から夢が降ってくるシーンを入れよう」だとか「エピローグの1つ前の章は『物語の“締め”らしい』章タイトルで『夢路の果て』にしよう」だとか「物語の中盤に“悪夢”との戦いの章が続くから、その前あたりに『悪夢の予兆』というタイトルの章を入れて、バトル・シーン前の“嵐の前の静けさ”にしてメリハリをつけよう」だとか…。
中には「ストーリー・アイディアから章タイトルが出来上がった」のではなく、「章タイトルを先に思いついて、そのタイトルに合わせてストーリーを作っていった」という章もあります。
また、小説を「いくつの章で構成するのか」ということも、こうして「この部分に、こんな章タイトルを入れたい」と章を追加したりいろいろしているうちに、いつの間にか決まっていたりします。
実際「夢見の島の眠れる女神」は、そうして小説を構成する全15章(←プロローグ・エピローグ・断章と12の章を合わせて)全てに章タイトルをつけ終わった時、それがそのままこの小説のプロットにもなっていました。
(特に「夢見の島の眠れる女神」の場合は、もくじで章タイトルを伏せているプロローグ・エピローグ・断章の果たす役割が大きいので、それらの章タイトルと「断章をどこに入れるか」は小説の構成に大きな影響を与えました。)
結構「クセの強い」「個性的な」プロットの作り方かも知れないので、万人に当てはまる方法かどうかは分かりませんが、個人的には「モチベーションの維持にもつながる、楽しく、気分のアガるプロットの書き方」だと思っていますので、参考にしてみてください。
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小説プロットの書き方と言っても、個人個人でいろいろやり方は違うと思います。
自分は他の方のやり方は知りませんので、あくまで自分が実際にやって「やりやすかった」作り方で説明することになりますが…
それは「起承転結」のそれぞれのポイントを先に決めて、そこから逆算してストーリーを組み立てていく方式です。
具体的に言うと、まずは紙にそれぞれ充分な間隔を空けて「起」「承」「転」「結」の見出しを書き、それぞれの項目をアイディアで埋めていく、という作業です。
(自分は「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のプロットを実際にこの方式で作りました。)
「起」は「物語をどんな風に始めたいか」、「結」は「物語をどんな風に終わらせたいか」、「転」は「物語のクライマックスをどんな風にしたいか」です。
(「承」については後述。)
自分の場合、まず重視するのは「結」――物語の締めくくり方です。
なぜなら、物語の「着地点」が見えていれば、そこまでの道筋も立てやすいからです。
とは言え、毎度必ず「完全なる結末」を考えているわけではありません。
物語は完結してしまえば「おしまい」ですので、これからも「つづき」を書きたければ完全に締めてしまうわけにはいきません。
しかし「シリーズ中の1つの話」にも「それなりの締めくくり」があった方が、起承転結がハッキリして物語がキレイにまとまります。
なので、そんな締め方――物語の“エンディング”のシーンを頭の中に思い描き、それを「結」の項目に箇条書きなりメモ書きなりしておきます。
(自分の場合、この『頭の中に思い描く』というのは、映画のワンシーンを頭の中に流すような感覚で“動画”としてシーンを想像することが多いです。それを言葉に書き起こしていきます。)
「転」は、その「結」に至る前の重要なヤマ場であり、物語全体の「クライマックス」でもあります。
(RPG的なファンタジーで言ったらラスボス戦でどう戦うか、といった部分に当たるかと思います。)
ここでいかに鮮やかな「転」を見せられるかで、物語自体の評価も変わってきてしまうと思います。
なので「どうしたら盛り上がるか」「燃える展開になるか」知恵を絞り、そのアイディアを書き起こしていきます。
できれば読者の予想を裏切るサプライズ展開を入れたいところですが、こればかりはアイディアの閃きと筆力次第ですので、なかなか難しいところです…。
「起」は物語のプロローグであり導入部です。
物語をどんな場面(シーン)から始めたいか、初めてその物語に触れる読者に、まず何を見せていきたいのか、そのアイディアを書き起こしていきます。
そして、「承」……。
なにげにこの部分が起承転結の中で一番難しいかも知れません。
「起」と「転」の間にある“ツナギ”のようなこの部分、ただダラダラと思いつくシーンを思いつく限り書いていくのも自由だとは思います。
しかし、そうやって無計画にダラダラ書いていくと、ダレたりマンネリ化する危険があります。
それは下手すると読者離れを起こしかねない重大なリスクだと思うのです。
なので、そうならないためには「承」の中でもメリハリをつけ、小規模な山場を作って読者を「飽きさせない」工夫をすることです。
また、「承」には“ツナギ”の他にも重要な役割があります。
まず一つは、読者に物語の世界観や設定を伝える部分だということ。
もう一つは、「転」や「結」でサプライズを起こすための「伏線」を潜ませていく部分だということです。
なので実は、「転」「結」までに書いておくべき「設定」「世界観」「伏線」を逆算でピックアップし、どういう順番でストーリー中に出していくかを書き起こしていくだけで、「承」のプロットはある程度埋まっていったりするのです。
(実際、「花咲く夜に君の名を呼ぶ」の「承」部分は、ほぼ設定説明と伏線だけでストーリーができあがっています。)
ただ、世界観説明や伏線は「マニュアル」や「解説書」のような「説明文」になってしまうと読者に退屈がられかねません。
なので、退屈にならず、しかも分かりやすくする「工夫」が必要となってきます。
個人的には一部のゲームのチュートリアルのように、ゲーム開始直後くらいにちょっとしたミニ・ゲームやミニ・クエストがあって、実際にプレイしながらシステムを学べるような「あの感じ」を、小説でも出せればいいなぁと思っています。
何にせよ、大事なのはプロットにアイディアを「書きっ放し」にするのではなく、一旦書いたそれを自分で見つめ直し、「もっと面白くできないか」あるいは「本当にそれで完結まで書ききれるのか」を考え、試行錯誤していく作業だと思います。
プロットはそうやって、実際に執筆に取りかかる前に作品の出来を「シミュレーション」するためにあるものだとも思いますので。
ちなみに「プロットの作り方」、津籠は実験的に、作品ごとに違う様々なやり方で作ってみているのですが、別のやり方についてはそのうちにまた書いてみたいと思います。
(ちなみに「プロットを書く以前に、その起承転結のアイディアが思い浮かばない!」という方は、参考になるかどうは分かりませんが過去記事「アイディアの断片をストックせよ!」「アイディアひらめきスキルをアップ!」など参照してみてください。)
自分は他の方のやり方は知りませんので、あくまで自分が実際にやって「やりやすかった」作り方で説明することになりますが…
それは「起承転結」のそれぞれのポイントを先に決めて、そこから逆算してストーリーを組み立てていく方式です。
具体的に言うと、まずは紙にそれぞれ充分な間隔を空けて「起」「承」「転」「結」の見出しを書き、それぞれの項目をアイディアで埋めていく、という作業です。
(自分は「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のプロットを実際にこの方式で作りました。)
「起」は「物語をどんな風に始めたいか」、「結」は「物語をどんな風に終わらせたいか」、「転」は「物語のクライマックスをどんな風にしたいか」です。
(「承」については後述。)
自分の場合、まず重視するのは「結」――物語の締めくくり方です。
なぜなら、物語の「着地点」が見えていれば、そこまでの道筋も立てやすいからです。
とは言え、毎度必ず「完全なる結末」を考えているわけではありません。
物語は完結してしまえば「おしまい」ですので、これからも「つづき」を書きたければ完全に締めてしまうわけにはいきません。
しかし「シリーズ中の1つの話」にも「それなりの締めくくり」があった方が、起承転結がハッキリして物語がキレイにまとまります。
なので、そんな締め方――物語の“エンディング”のシーンを頭の中に思い描き、それを「結」の項目に箇条書きなりメモ書きなりしておきます。
(自分の場合、この『頭の中に思い描く』というのは、映画のワンシーンを頭の中に流すような感覚で“動画”としてシーンを想像することが多いです。それを言葉に書き起こしていきます。)
「転」は、その「結」に至る前の重要なヤマ場であり、物語全体の「クライマックス」でもあります。
(RPG的なファンタジーで言ったらラスボス戦でどう戦うか、といった部分に当たるかと思います。)
ここでいかに鮮やかな「転」を見せられるかで、物語自体の評価も変わってきてしまうと思います。
なので「どうしたら盛り上がるか」「燃える展開になるか」知恵を絞り、そのアイディアを書き起こしていきます。
できれば読者の予想を裏切るサプライズ展開を入れたいところですが、こればかりはアイディアの閃きと筆力次第ですので、なかなか難しいところです…。
「起」は物語のプロローグであり導入部です。
物語をどんな場面(シーン)から始めたいか、初めてその物語に触れる読者に、まず何を見せていきたいのか、そのアイディアを書き起こしていきます。
そして、「承」……。
なにげにこの部分が起承転結の中で一番難しいかも知れません。
「起」と「転」の間にある“ツナギ”のようなこの部分、ただダラダラと思いつくシーンを思いつく限り書いていくのも自由だとは思います。
しかし、そうやって無計画にダラダラ書いていくと、ダレたりマンネリ化する危険があります。
それは下手すると読者離れを起こしかねない重大なリスクだと思うのです。
なので、そうならないためには「承」の中でもメリハリをつけ、小規模な山場を作って読者を「飽きさせない」工夫をすることです。
また、「承」には“ツナギ”の他にも重要な役割があります。
まず一つは、読者に物語の世界観や設定を伝える部分だということ。
もう一つは、「転」や「結」でサプライズを起こすための「伏線」を潜ませていく部分だということです。
なので実は、「転」「結」までに書いておくべき「設定」「世界観」「伏線」を逆算でピックアップし、どういう順番でストーリー中に出していくかを書き起こしていくだけで、「承」のプロットはある程度埋まっていったりするのです。
(実際、「花咲く夜に君の名を呼ぶ」の「承」部分は、ほぼ設定説明と伏線だけでストーリーができあがっています。)
ただ、世界観説明や伏線は「マニュアル」や「解説書」のような「説明文」になってしまうと読者に退屈がられかねません。
なので、退屈にならず、しかも分かりやすくする「工夫」が必要となってきます。
個人的には一部のゲームのチュートリアルのように、ゲーム開始直後くらいにちょっとしたミニ・ゲームやミニ・クエストがあって、実際にプレイしながらシステムを学べるような「あの感じ」を、小説でも出せればいいなぁと思っています。
何にせよ、大事なのはプロットにアイディアを「書きっ放し」にするのではなく、一旦書いたそれを自分で見つめ直し、「もっと面白くできないか」あるいは「本当にそれで完結まで書ききれるのか」を考え、試行錯誤していく作業だと思います。
プロットはそうやって、実際に執筆に取りかかる前に作品の出来を「シミュレーション」するためにあるものだとも思いますので。
ちなみに「プロットの作り方」、津籠は実験的に、作品ごとに違う様々なやり方で作ってみているのですが、別のやり方についてはそのうちにまた書いてみたいと思います。
(ちなみに「プロットを書く以前に、その起承転結のアイディアが思い浮かばない!」という方は、参考になるかどうは分かりませんが過去記事「アイディアの断片をストックせよ!」「アイディアひらめきスキルをアップ!」など参照してみてください。)
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まず、プロットとはカンタンに言うとこれから書く小説の「設計図」のようなモノです。
その形態は小説をダイジェスト形式にまとめた「あらすじ」のようであったり、もっと単純なストーリーの要点のみを記した「メモ書き」だったりと、人あるいは業界により様々です。
小説を書く上では、まずこの「プロット」を作り、それに沿ってストーリーを執筆していくことが大切だと言われていますが…
そもそもこのプロット「必ず作る必要があるモノなのか?」と思っている方もいらっしゃることでしょう。
結論から先に言えば「必要性はともかくとして、なるべくプロットは作れるようにしておいた方がいい」と自分は思っています。
プロットを作らなくても頭の中だけで完璧に小説を構築でき、それを実際に形にできる能力を持った方なら、こと「作品を作るという点において」プロットを作る必要性は無いと思います。
しかし、それでも「プロットを作れるようにしておいた方がいい」理由として、まず挙げられるのが「あなたがもしプロの作家を目指しているのなら、プロットはいつか必ず必要になる」からです。
プロというものは自分一人だけでなく、一緒に仕事をする“他人”(たとえば小説家なら担当編集者など)が存在するものです。
自分一人でストーリーのアイディア出しから実際の小説執筆→完結まで全部を終えられるアマチュアのうちなら、プロットなど無くても(それでクオリティーの高い小説が書けるなら)問題はありません。
しかしプロになり、一から新しい作品を創ることにでもなれば、その小説の企画段階から他人と打ち合わせをし、内容を練っていくという作業が必要になります。
そして、そんな初期の打ち合わせ段階で完成した小説を提示できるはずもなく、そこでは企画書としての「プロット」が必要になってくるわけです。
今の時代は出版不況。
新しい作品の企画は、よほど面白そうでヒットが見込めそうなモノでないと、そうそう編集部内の会議を通らないという話を噂でよく耳にします。
そんな状況下において、プロットの出来は、作品が今後世に出るかどうかを左右する重要なものとなってくるはずです。
もちろん「プロットを作るスキル」と「実際に小説を書き上げるスキル」は別物です。
短編小説やあらすじを書くのが得意な作家とそうでない作家がいるように、プロットが下手でも上手い小説を書ける作家はいるはずです。
しかしシビアな会議の場で、外側から見ただけでは決して分からない“それ”が考慮されるとは思えません。
それに人間は目先のインパクトやプレゼンの上手さに騙されがちな生き物です。
(昨今、プレゼンテーションの重要性が叫ばれ、大学教育の場でもプレゼンの授業が多く取り入れられるのはその辺りの事情からなのかも知れませんね。)
なので、これから作る小説の「サンプル」であり「見本」であるプロットが、誰が見ても面白そうに見える「すごいプロット」であるに越したことはないのです。
(もっとも、新規の書き下ろしでも何でもなく、ネット上にUPしてあった小説をそのまま書籍化するというだけなら、プロットも何も必要ないとは思うのですが…。)
それにプロットが上手に作れれば、「構成力」という点において小説のクオリティーをUPできる可能性が高いのです。
小説には、ミクロ的な巧さとマクロ的な巧さが存在します。
ミクロ(極小)的な巧さは「文章の巧さ」「台詞まわしの面白さ」など、場面場面での魅力。
マクロ(極大)的な巧さは「構成力」――あっと驚くサプライズや、展開の巧さ、ストーリーテリングの巧みさなどです。
そしてマクロ的な巧さは小説全体を俯瞰で眺めないと上達しない種類のモノだと自分は思っています。
プロットも何も無く、ただその場面その場面を執筆していくばかりだと、今書いている場面だけに思考が囚われてしまい、なかなかストーリーを「全体像で眺める」ことができなくなる気がするのです。
それに「あっと驚くサプライズを演出」するためには、その前段階で巧みに伏線を絡ませておく必要があります。
そんな重要な伏線を、ぼんやり執筆していてウッカリ書き忘れないためにも、プロットに「この場面でこの伏線を入れる」ということをしっかり書いておいた方が、後で何かと便利です。
それと自分はプロットとは、ストーリーの“因果関係”を記すものだと思っています。
「この場面でこういうことがあったから、後にこういうことが起こる」という因果関係――すなわち、点(場面)と点を線でつなぐような作業をプロットを通じて行うことで、自然と構成力が身につくように思うのです。
実際、自分が「プロットを作ってから小説を書く」ということを始めたのはネット・デビュー作である「花咲く夜に君の名を呼ぶ」からですが、それ以前に書いていた作品と比べて構成力は雲泥の差だと感じています(←もちろん当人比で)。
(何しろ「花咲く…」は前半ほぼ伏線のみでストーリーが構築されているような小説ですので。…まぁ、そんな津籠のプロットも、現時点では他の方にお見せできないような(見てもらっても内容が解読できないような)“メモ書き図式”状態ですので、あまり大きなことは言えないのですが…。)
また、例え「実際にプロットを作らなくても、頭の中だけで全て組み立てられるし、物語完結まで書き上げられるから、必要ない」という人であっても、一度は「プロットを実際に紙に書き出し、それを元に小説を最後まで書き上げる」という作業をしてみると、プロット組み立てから執筆までの一連の作業工程(どの時点で何をどうすれば良いのか)が“可視化”され分かりやすくなるので、次回からよりスムーズに頭の中でプロット組み立てができるようになると思います。(←津籠自身の経験談によるものです。)
その形態は小説をダイジェスト形式にまとめた「あらすじ」のようであったり、もっと単純なストーリーの要点のみを記した「メモ書き」だったりと、人あるいは業界により様々です。
小説を書く上では、まずこの「プロット」を作り、それに沿ってストーリーを執筆していくことが大切だと言われていますが…
そもそもこのプロット「必ず作る必要があるモノなのか?」と思っている方もいらっしゃることでしょう。
結論から先に言えば「必要性はともかくとして、なるべくプロットは作れるようにしておいた方がいい」と自分は思っています。
プロットを作らなくても頭の中だけで完璧に小説を構築でき、それを実際に形にできる能力を持った方なら、こと「作品を作るという点において」プロットを作る必要性は無いと思います。
しかし、それでも「プロットを作れるようにしておいた方がいい」理由として、まず挙げられるのが「あなたがもしプロの作家を目指しているのなら、プロットはいつか必ず必要になる」からです。
プロというものは自分一人だけでなく、一緒に仕事をする“他人”(たとえば小説家なら担当編集者など)が存在するものです。
自分一人でストーリーのアイディア出しから実際の小説執筆→完結まで全部を終えられるアマチュアのうちなら、プロットなど無くても(それでクオリティーの高い小説が書けるなら)問題はありません。
しかしプロになり、一から新しい作品を創ることにでもなれば、その小説の企画段階から他人と打ち合わせをし、内容を練っていくという作業が必要になります。
そして、そんな初期の打ち合わせ段階で完成した小説を提示できるはずもなく、そこでは企画書としての「プロット」が必要になってくるわけです。
今の時代は出版不況。
新しい作品の企画は、よほど面白そうでヒットが見込めそうなモノでないと、そうそう編集部内の会議を通らないという話を噂でよく耳にします。
そんな状況下において、プロットの出来は、作品が今後世に出るかどうかを左右する重要なものとなってくるはずです。
もちろん「プロットを作るスキル」と「実際に小説を書き上げるスキル」は別物です。
短編小説やあらすじを書くのが得意な作家とそうでない作家がいるように、プロットが下手でも上手い小説を書ける作家はいるはずです。
しかしシビアな会議の場で、外側から見ただけでは決して分からない“それ”が考慮されるとは思えません。
それに人間は目先のインパクトやプレゼンの上手さに騙されがちな生き物です。
(昨今、プレゼンテーションの重要性が叫ばれ、大学教育の場でもプレゼンの授業が多く取り入れられるのはその辺りの事情からなのかも知れませんね。)
なので、これから作る小説の「サンプル」であり「見本」であるプロットが、誰が見ても面白そうに見える「すごいプロット」であるに越したことはないのです。
(もっとも、新規の書き下ろしでも何でもなく、ネット上にUPしてあった小説をそのまま書籍化するというだけなら、プロットも何も必要ないとは思うのですが…。)
それにプロットが上手に作れれば、「構成力」という点において小説のクオリティーをUPできる可能性が高いのです。
小説には、ミクロ的な巧さとマクロ的な巧さが存在します。
ミクロ(極小)的な巧さは「文章の巧さ」「台詞まわしの面白さ」など、場面場面での魅力。
マクロ(極大)的な巧さは「構成力」――あっと驚くサプライズや、展開の巧さ、ストーリーテリングの巧みさなどです。
そしてマクロ的な巧さは小説全体を俯瞰で眺めないと上達しない種類のモノだと自分は思っています。
プロットも何も無く、ただその場面その場面を執筆していくばかりだと、今書いている場面だけに思考が囚われてしまい、なかなかストーリーを「全体像で眺める」ことができなくなる気がするのです。
それに「あっと驚くサプライズを演出」するためには、その前段階で巧みに伏線を絡ませておく必要があります。
そんな重要な伏線を、ぼんやり執筆していてウッカリ書き忘れないためにも、プロットに「この場面でこの伏線を入れる」ということをしっかり書いておいた方が、後で何かと便利です。
それと自分はプロットとは、ストーリーの“因果関係”を記すものだと思っています。
「この場面でこういうことがあったから、後にこういうことが起こる」という因果関係――すなわち、点(場面)と点を線でつなぐような作業をプロットを通じて行うことで、自然と構成力が身につくように思うのです。
実際、自分が「プロットを作ってから小説を書く」ということを始めたのはネット・デビュー作である「花咲く夜に君の名を呼ぶ」からですが、それ以前に書いていた作品と比べて構成力は雲泥の差だと感じています(←もちろん当人比で)。
(何しろ「花咲く…」は前半ほぼ伏線のみでストーリーが構築されているような小説ですので。…まぁ、そんな津籠のプロットも、現時点では他の方にお見せできないような(見てもらっても内容が解読できないような)“メモ書き図式”状態ですので、あまり大きなことは言えないのですが…。)
また、例え「実際にプロットを作らなくても、頭の中だけで全て組み立てられるし、物語完結まで書き上げられるから、必要ない」という人であっても、一度は「プロットを実際に紙に書き出し、それを元に小説を最後まで書き上げる」という作業をしてみると、プロット組み立てから執筆までの一連の作業工程(どの時点で何をどうすれば良いのか)が“可視化”され分かりやすくなるので、次回からよりスムーズに頭の中でプロット組み立てができるようになると思います。(←津籠自身の経験談によるものです。)
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先に念のために一応書いておくと、テキスト・エディタとはWindowsで言うなら「メモ帳」(マッキントッシュなら「SimpleText」?(←MacPCを使ったことがないので詳しくありません。スミマセン。))のような、文章を打ち込むためのごくごくシンプルなアプリケーションのことです。
(iPadなどのタブレット端末でも、元から入っているメモのアプリがあったり、もっと便利な機能のついたメモアプリがストアにいろいろあったりします。)
……で、本題に入りますが、小説投稿サイトにネット小説を投稿している皆さん……まさか、いきなり投稿サイトの文章投稿画面(編集画面)に直接、小説本文を打ち込んだりはしていませんよね?
ネット環境に何の問題もなく、また投稿に使っているPCや各種端末のスペックにも何の問題も無くて、途中でフリーズする可能性がゼロというなら、それで構わないと思います。
しかし、もし少しでもネット環境やPC・端末のスペックに問題があるとしたら、バックアップも取らずに直接本文を打ち込んでいくのは危険過ぎます。
なぜならそれは、ネットの接続が突然切れたり、PC・端末がフリーズしたり強制終了したりした途端、今まで打ち込んできた何百、何千、何万という文字・文章たちが一瞬で消えてしまうというリスクを孕んでいるからです。
そんなわけで、自分は小説投稿サイトに投稿するにしろ、自作サイト用のWEBページを作成するにしろ、まずはテキスト・エディタで本文を打ち込み、PC上に保存しておいてから、それをコピー&ペーストして投稿したり、WEBページを制作するようにしています。
(念のため一応書いておくとPC等で作成した文章は、コピーしたい部分を選択後、マウスの右クリックで「コピー」を選択→さらにコピーしたい先にカーソルを持っていって右クリックで「貼り付け」を選択で「コピー&ペースト(いわゆる「コピペ」)」ができます。)
オフライン作業でテキスト・エディタだけを起動しての作業なら、そもそもネット接続の状態を気にする必要もありませんし、PCがフリーズすることもまずありません。
それにブラウザ(インターネット閲覧ソフト)を開いているとそれだけで動作が重くなり、キーを打っているのになかなか反応してくれなかったりすることがありますが、テキスト・エディタは軽いのでサクサク動いてくれます。
(自分の場合、キータッチの速度のせいかPCのスペックのせいかは不明ですが、Wordでさえ動作が重くてイラッとするので文章の打ち込みは最早テキスト・エディタでないと無理になってきています。)
それに投稿サイトさんの投稿画面だと、モノによっては文字が小さ過ぎて見るのがツライのですが、テキスト・エディタは比較的文字サイズも大きく、打った文章を見直したり推敲するのもラクラクです。
(タブレット用のメモアプリも、モノによっては文字サイズが調節できるので大きな字でサクサク作業することができます。ちなみに自分はiPad用アプリで「おとなのメモ帳」というアプリを使っています。(←「おとなの…」という名前ですが、べつにアダルティ~なアプリではありません。))
また、テキスト・エディタは投稿小説やその他諸々の文章の「バックアップ」を取る際にも大変役立ちます。
文章コピーの使える小説投稿サイトさんなら、小説投稿画面で文章を一度全部打ち込んだ後(サイトによっては文章打ち込み後、ルビ振りや各種特殊タグを使ったりした後)、その打った文字列を一度全部テキスト・エディタにコピー&ペーストして保存しておけば、簡単にバックアップがとれます。
もちろん投稿小説サイトのみならず、ブログやメールなど、失くしたくない大切な文章を保存したい時にも「文章の編集画面でコピー→テキスト・エディタにペースト(貼り付け)→保存」することにより簡単にバックアップがとれます。
それと、テキスト・エディタには小説サイトなどのWEB制作をする上で大変便利な使い方がもう一点あります。
それは、URLやWEB制作に使うタグ/コードのコピー&ペーストという使い方です。
たとえばWEBサイトのとあるページから外部のサイトさんへリンクを貼る際、リンク先として相手先サイトのURLを入力しなければならないわけですが、いちいち打ち込むのは大変面倒くさい上に、タッチミスして一文字でもURLを間違えれば、リンクエラーで相手先へ飛べない、というリスクがあります。
かと言って、いちいち相手先のWEBページを開き、URLをコピーしてからペーストするのも、それなりに面倒くさい作業です。
なので、リンクを貼る頻度の高いURLは、あらかじめテキスト・エディタにまとめてコピー&ペーストし、保存しておけば良いのです。
さらには「カウンター」や「アンケート」あるいは「アフィリエイト」などのWEBサービスのコードやタグも、テキスト・エディタにコピー&ペーストで保存しておくことができます。
これも、先にまとめてテキスト・エディタに保存しておいて、後で一気にWEB制作をするという方法をとれば、作業効率が上がりまし、バックアップにもなります。
最後にこのテキスト・エディタの最大の利点――それは、何と言っても保存したテキスト文書がデータ的にメチャクチャ“軽い”ファイルだということです。
結構な文章量を打ち込んでも1MB行くことすらありません(←あくまで個人的経験からの話ですが)。
なのでPCにしろフラッシュメモリにしろ、残り容量を気にする必要もなくサクサク保存できます。
(ただしフラッシュメモリはデータがクラッシュすると文字化けするので気をつけてください。←経験談。)
と言うわけで、下手するとPCに最初から入っている「おまけ」的に思って全く使わない人がいるかも知れないテキスト・エディタ、何気にものすごく使い勝手が良いので、今まで使ってこなかったという方はこれから是非、使ってみてはいかがでしょうか。
<関連記事>
・メモ帳(テキストエディタ)で小説を書く際の注意点&便利なテクニック
(iPadなどのタブレット端末でも、元から入っているメモのアプリがあったり、もっと便利な機能のついたメモアプリがストアにいろいろあったりします。)
……で、本題に入りますが、小説投稿サイトにネット小説を投稿している皆さん……まさか、いきなり投稿サイトの文章投稿画面(編集画面)に直接、小説本文を打ち込んだりはしていませんよね?
ネット環境に何の問題もなく、また投稿に使っているPCや各種端末のスペックにも何の問題も無くて、途中でフリーズする可能性がゼロというなら、それで構わないと思います。
しかし、もし少しでもネット環境やPC・端末のスペックに問題があるとしたら、バックアップも取らずに直接本文を打ち込んでいくのは危険過ぎます。
なぜならそれは、ネットの接続が突然切れたり、PC・端末がフリーズしたり強制終了したりした途端、今まで打ち込んできた何百、何千、何万という文字・文章たちが一瞬で消えてしまうというリスクを孕んでいるからです。
そんなわけで、自分は小説投稿サイトに投稿するにしろ、自作サイト用のWEBページを作成するにしろ、まずはテキスト・エディタで本文を打ち込み、PC上に保存しておいてから、それをコピー&ペーストして投稿したり、WEBページを制作するようにしています。
(念のため一応書いておくとPC等で作成した文章は、コピーしたい部分を選択後、マウスの右クリックで「コピー」を選択→さらにコピーしたい先にカーソルを持っていって右クリックで「貼り付け」を選択で「コピー&ペースト(いわゆる「コピペ」)」ができます。)
オフライン作業でテキスト・エディタだけを起動しての作業なら、そもそもネット接続の状態を気にする必要もありませんし、PCがフリーズすることもまずありません。
それにブラウザ(インターネット閲覧ソフト)を開いているとそれだけで動作が重くなり、キーを打っているのになかなか反応してくれなかったりすることがありますが、テキスト・エディタは軽いのでサクサク動いてくれます。
(自分の場合、キータッチの速度のせいかPCのスペックのせいかは不明ですが、Wordでさえ動作が重くてイラッとするので文章の打ち込みは最早テキスト・エディタでないと無理になってきています。)
それに投稿サイトさんの投稿画面だと、モノによっては文字が小さ過ぎて見るのがツライのですが、テキスト・エディタは比較的文字サイズも大きく、打った文章を見直したり推敲するのもラクラクです。
(タブレット用のメモアプリも、モノによっては文字サイズが調節できるので大きな字でサクサク作業することができます。ちなみに自分はiPad用アプリで「おとなのメモ帳」というアプリを使っています。(←「おとなの…」という名前ですが、べつにアダルティ~なアプリではありません。))
また、テキスト・エディタは投稿小説やその他諸々の文章の「バックアップ」を取る際にも大変役立ちます。
文章コピーの使える小説投稿サイトさんなら、小説投稿画面で文章を一度全部打ち込んだ後(サイトによっては文章打ち込み後、ルビ振りや各種特殊タグを使ったりした後)、その打った文字列を一度全部テキスト・エディタにコピー&ペーストして保存しておけば、簡単にバックアップがとれます。
もちろん投稿小説サイトのみならず、ブログやメールなど、失くしたくない大切な文章を保存したい時にも「文章の編集画面でコピー→テキスト・エディタにペースト(貼り付け)→保存」することにより簡単にバックアップがとれます。
それと、テキスト・エディタには小説サイトなどのWEB制作をする上で大変便利な使い方がもう一点あります。
それは、URLやWEB制作に使うタグ/コードのコピー&ペーストという使い方です。
たとえばWEBサイトのとあるページから外部のサイトさんへリンクを貼る際、リンク先として相手先サイトのURLを入力しなければならないわけですが、いちいち打ち込むのは大変面倒くさい上に、タッチミスして一文字でもURLを間違えれば、リンクエラーで相手先へ飛べない、というリスクがあります。
かと言って、いちいち相手先のWEBページを開き、URLをコピーしてからペーストするのも、それなりに面倒くさい作業です。
なので、リンクを貼る頻度の高いURLは、あらかじめテキスト・エディタにまとめてコピー&ペーストし、保存しておけば良いのです。
さらには「カウンター」や「アンケート」あるいは「アフィリエイト」などのWEBサービスのコードやタグも、テキスト・エディタにコピー&ペーストで保存しておくことができます。
これも、先にまとめてテキスト・エディタに保存しておいて、後で一気にWEB制作をするという方法をとれば、作業効率が上がりまし、バックアップにもなります。
最後にこのテキスト・エディタの最大の利点――それは、何と言っても保存したテキスト文書がデータ的にメチャクチャ“軽い”ファイルだということです。
結構な文章量を打ち込んでも1MB行くことすらありません(←あくまで個人的経験からの話ですが)。
なのでPCにしろフラッシュメモリにしろ、残り容量を気にする必要もなくサクサク保存できます。
(ただしフラッシュメモリはデータがクラッシュすると文字化けするので気をつけてください。←経験談。)
と言うわけで、下手するとPCに最初から入っている「おまけ」的に思って全く使わない人がいるかも知れないテキスト・エディタ、何気にものすごく使い勝手が良いので、今まで使ってこなかったという方はこれから是非、使ってみてはいかがでしょうか。
<関連記事>
・メモ帳(テキストエディタ)で小説を書く際の注意点&便利なテクニック
ネット小説を書く理由や動機、モチベーションの源は、人それぞれ違うと思います。
小説家として人気を得たい、多くの人から評価されたい、多くの人に「読まれる」小説を書きたい、という想いからネット小説を書いている人も、もちろんいることでしょう。
他者からの評価や承認はモチベーションの源になりやすいですし、それを励みに執筆を続けていくのは、もちろん良いことだと思います。
ただ、それを小説を書くモチベーションの“核”――小説を書く“理由”や“意味”の、最も中心にある根幹のモノとして位置づけてしまうのは危険です。
なぜなら、他人の心は自分の思い通りにはできないから――どんなに一生懸命に執筆して、その小説の出来栄えが客観的に見て素晴らしいものだったとしても、それが必ずしも評価されるとは限らないからです。
読者やユーザーの目線で考えてみれば分かることかも知れませんが、読者やユーザーは必ずしも小説や商品を“クオリティー”によって評価するわけではありません。
たとえクオリティー(文章の巧さや構成力、台詞回しや言葉遣いのセンスなど)が他と比べて低くても「このキャラが好み!」だとか「このカップリングが萌え!」だとか「このシチュエーションがツボ!」だとか、何か1つ、自分の心の琴線にド直球で触れてくるモノがあれば、好きになってしまったりするものです。
逆に、たとえクオリティーが高くても「萌え」たり「燃え」たりできる要素が無ければ「うん。まぁ面白かった」とサラッと流されて終わり、“好き”になってもらったり“ファン”になってはもらえない、という可能性も大いにあります。
つまり人気が上がるかどうかは「自分の作品が、自分の作品を読んでくれた読者の“ツボ”にどれだけハマれるか」ということでもあるのです。
そしてそれは「作者の趣味嗜好が、どれだけ多くの読者と共通したメジャーな趣味嗜好なのか」という元々の属性や、「自分と趣味嗜好を同じくする読者が、どれだけ自分の作品と出会ってくれるか」という運・確率に左右される問題でもあるのです。
(もちろん、そんな趣味嗜好やツボの違いさえ覆してしまえるほどのクオリティーというものも世の中には存在するのでしょうが、アマチュアなネット小説家を想定しているので、その辺りは今回は脇に置いておきます。)
世の中、どれほどニッチな市場だとしても、需要と供給が上手くマッチングしていけば市場として上手く成り立っていけるものです。
しかし、その「ニーズのある所に上手く商品をアピールしていく」ということが、プロのセールスマンさんや広告代理店さんをも悩ませているであろう最大の難点だったりするのです。
(だから昨今の世の中は「分かりやすく大きな需要を見込める」ものにばかり供給が集中して、似たようなジャンルばかりが溢れかえる結果になっているのかも知れませんね…。)
だから、今現在自分の作品の「数字が伸びない」「評価が伸びない」からと言って、必ずしも落ち込む必要は無いのです。
それはただ単純に「あなたの作品のファンとなるべき読者が、まだあなたの作品と出会っていない」だけかも知れないからです。
(もちろんそうではなく単純に作品のクオリティーが低い場合もありますので、自作品を省みて、改善点を見つけられるなら直した方が良いですし、対策が取れるなら取った方が良いと思いますが。)
まぁ、それを置いておいたとしても、たとえ今後どんな人気作家になる人だとしても「始まりが0(ゼロ)スタート」であることは当たり前ですし、数字が低いうちはその数字だけを見て「こんなに数字が低いんじゃ、きっとつまらないんだろう」と去っていく人もいますので、あまり数字によってモチベーションを左右されない方が自身のためかと思います。
…で、ここからが本題なのですが――だったら何をモチベーションの核に据えたら良いのか……自分の場合それは「小説を書くこと自体が楽しい」という気持ちです。
やはり「それ自体が楽しい」ということは、それを続けるための最大の理由になりますし、自然とモチベーションが湧いてきます。
後は、その気持ちを忘れないようにすることです。
数字が伸びなかったり、評価が悪かったりすることに凹んで「こんな小説、書いても何にもならない」などと自分で自分の作品を否定してしまったり、小説を書くこと自体の楽しさを忘れてしまったりしないよう、常に書くことの“楽しさ”を意識し続けることです。
そして作者が心から“楽しんで”書いていけば、それは小説自体にも影響を与え、クオリティーを上げてくれるように思うのです。
「どうせ駄目だ」とか、変に萎縮して書くよりも、のびのびと楽しんで書いた方が、大胆で思いきった場面や描写を入れられたり、自分なりの「萌え」や「燃え」が入れられるような気がするので。
それと自分なりに心がけていることが、もう1つ。
それは訪問者数やページ・ビュー数として表れる“数字”を、ただの“数字”として見ないこと、です。
ただの数字の羅列だと思えば、その大小や伸び方だけで一喜一憂してしまいますが、“それ”はネットの海の向こうにいる“誰か”――ひとりの人間が、パソコンやスマホや諸々の端末を使って自分の作品に“触れて”くれたことの結果なのです。
たとえ一人だって、二人だって、広い広いネットの海の中で自分の作品に辿り着いてくれて、読んでくれて、そしてもし何かを感じてもらえたなら、それはきっと“意味”のあることではないでしょうか。
実際、管理人の運営するファンタジー小説サイト「言ノ葉ノ森」など、最初の頃はほとんどカウンターが伸びませんでしたが、何となくリピーターさんがいる気配(←まだ小説検索サイトさん等に登録していないにも関わらず数週間おきに訪問してくださる方がいらしたので「これは偶然辿り着いてくれたユーザーさんがリピートしてくれているに違いない」と思って)に「一人でもこの小説を楽しんでくれている読者さんがいるなら、その人のためだけにでもこの小説を完結させよう!」と意欲が湧いてきたものです。
(実際、サイト開設当初から連載していた「花咲く夜に君の名を呼ぶ」と「夢見の島の眠れる女神」は、時間はかかったものの両方ともちゃんと完結できましたし。)
まぁ、管理人は“誰が”サイト(あるいはページ)を訪問してくれたかを知ることはできませんし、たまたま検索で引っかかって訪問はしたものの、一見しただけで去っていってしまった方の数字が残っているだけかも知れません。
でも、何となく似たような周期で訪問してくださっている方がいると「リピーターさんかな」と思ったりしますし、その気配を感じたり想像したりするだけで、やる気が湧いてきたりもします。
まぁ、それが単なる勘違いや妄想だったとしても、結果として作者のモチベーションupにつながるなら結果オーライで、それはそれで良いのではないかとも思っています。
小説家として人気を得たい、多くの人から評価されたい、多くの人に「読まれる」小説を書きたい、という想いからネット小説を書いている人も、もちろんいることでしょう。
他者からの評価や承認はモチベーションの源になりやすいですし、それを励みに執筆を続けていくのは、もちろん良いことだと思います。
ただ、それを小説を書くモチベーションの“核”――小説を書く“理由”や“意味”の、最も中心にある根幹のモノとして位置づけてしまうのは危険です。
なぜなら、他人の心は自分の思い通りにはできないから――どんなに一生懸命に執筆して、その小説の出来栄えが客観的に見て素晴らしいものだったとしても、それが必ずしも評価されるとは限らないからです。
読者やユーザーの目線で考えてみれば分かることかも知れませんが、読者やユーザーは必ずしも小説や商品を“クオリティー”によって評価するわけではありません。
たとえクオリティー(文章の巧さや構成力、台詞回しや言葉遣いのセンスなど)が他と比べて低くても「このキャラが好み!」だとか「このカップリングが萌え!」だとか「このシチュエーションがツボ!」だとか、何か1つ、自分の心の琴線にド直球で触れてくるモノがあれば、好きになってしまったりするものです。
逆に、たとえクオリティーが高くても「萌え」たり「燃え」たりできる要素が無ければ「うん。まぁ面白かった」とサラッと流されて終わり、“好き”になってもらったり“ファン”になってはもらえない、という可能性も大いにあります。
つまり人気が上がるかどうかは「自分の作品が、自分の作品を読んでくれた読者の“ツボ”にどれだけハマれるか」ということでもあるのです。
そしてそれは「作者の趣味嗜好が、どれだけ多くの読者と共通したメジャーな趣味嗜好なのか」という元々の属性や、「自分と趣味嗜好を同じくする読者が、どれだけ自分の作品と出会ってくれるか」という運・確率に左右される問題でもあるのです。
(もちろん、そんな趣味嗜好やツボの違いさえ覆してしまえるほどのクオリティーというものも世の中には存在するのでしょうが、アマチュアなネット小説家を想定しているので、その辺りは今回は脇に置いておきます。)
世の中、どれほどニッチな市場だとしても、需要と供給が上手くマッチングしていけば市場として上手く成り立っていけるものです。
しかし、その「ニーズのある所に上手く商品をアピールしていく」ということが、プロのセールスマンさんや広告代理店さんをも悩ませているであろう最大の難点だったりするのです。
(だから昨今の世の中は「分かりやすく大きな需要を見込める」ものにばかり供給が集中して、似たようなジャンルばかりが溢れかえる結果になっているのかも知れませんね…。)
だから、今現在自分の作品の「数字が伸びない」「評価が伸びない」からと言って、必ずしも落ち込む必要は無いのです。
それはただ単純に「あなたの作品のファンとなるべき読者が、まだあなたの作品と出会っていない」だけかも知れないからです。
(もちろんそうではなく単純に作品のクオリティーが低い場合もありますので、自作品を省みて、改善点を見つけられるなら直した方が良いですし、対策が取れるなら取った方が良いと思いますが。)
まぁ、それを置いておいたとしても、たとえ今後どんな人気作家になる人だとしても「始まりが0(ゼロ)スタート」であることは当たり前ですし、数字が低いうちはその数字だけを見て「こんなに数字が低いんじゃ、きっとつまらないんだろう」と去っていく人もいますので、あまり数字によってモチベーションを左右されない方が自身のためかと思います。
…で、ここからが本題なのですが――だったら何をモチベーションの核に据えたら良いのか……自分の場合それは「小説を書くこと自体が楽しい」という気持ちです。
やはり「それ自体が楽しい」ということは、それを続けるための最大の理由になりますし、自然とモチベーションが湧いてきます。
後は、その気持ちを忘れないようにすることです。
数字が伸びなかったり、評価が悪かったりすることに凹んで「こんな小説、書いても何にもならない」などと自分で自分の作品を否定してしまったり、小説を書くこと自体の楽しさを忘れてしまったりしないよう、常に書くことの“楽しさ”を意識し続けることです。
そして作者が心から“楽しんで”書いていけば、それは小説自体にも影響を与え、クオリティーを上げてくれるように思うのです。
「どうせ駄目だ」とか、変に萎縮して書くよりも、のびのびと楽しんで書いた方が、大胆で思いきった場面や描写を入れられたり、自分なりの「萌え」や「燃え」が入れられるような気がするので。
それと自分なりに心がけていることが、もう1つ。
それは訪問者数やページ・ビュー数として表れる“数字”を、ただの“数字”として見ないこと、です。
ただの数字の羅列だと思えば、その大小や伸び方だけで一喜一憂してしまいますが、“それ”はネットの海の向こうにいる“誰か”――ひとりの人間が、パソコンやスマホや諸々の端末を使って自分の作品に“触れて”くれたことの結果なのです。
たとえ一人だって、二人だって、広い広いネットの海の中で自分の作品に辿り着いてくれて、読んでくれて、そしてもし何かを感じてもらえたなら、それはきっと“意味”のあることではないでしょうか。
実際、管理人の運営するファンタジー小説サイト「言ノ葉ノ森」など、最初の頃はほとんどカウンターが伸びませんでしたが、何となくリピーターさんがいる気配(←まだ小説検索サイトさん等に登録していないにも関わらず数週間おきに訪問してくださる方がいらしたので「これは偶然辿り着いてくれたユーザーさんがリピートしてくれているに違いない」と思って)に「一人でもこの小説を楽しんでくれている読者さんがいるなら、その人のためだけにでもこの小説を完結させよう!」と意欲が湧いてきたものです。
(実際、サイト開設当初から連載していた「花咲く夜に君の名を呼ぶ」と「夢見の島の眠れる女神」は、時間はかかったものの両方ともちゃんと完結できましたし。)
まぁ、管理人は“誰が”サイト(あるいはページ)を訪問してくれたかを知ることはできませんし、たまたま検索で引っかかって訪問はしたものの、一見しただけで去っていってしまった方の数字が残っているだけかも知れません。
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まぁ、それが単なる勘違いや妄想だったとしても、結果として作者のモチベーションupにつながるなら結果オーライで、それはそれで良いのではないかとも思っています。
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